禁書に置けるオラクルと上条当麻が説教臭いと感じる理由

上条さんが各所でかなり「説教臭い」と言われてる訳ですが、私から見てその理由が明確に理解ができなかったんですよ。ウザイってのは分かるんですが(笑
 
その理由が以下の2つのエントリを見比べてみて、なんとなく理由が分かった。

物語って、普通オラクルがいるわけじゃん。
預言者っていうか、主人公の行動指針を示す役割の人物で、
まあ、ナメック星の長老みたいなもんだけどさ。
 
週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ
http://anond.hatelabo.jp/20090209001638

上条当麻は隣人愛や善意、単純な倫理感によって行動し、無条件で他者のために命を賭けられる人物である。これは敵対する「組織としての宗教」に対するアンチテーゼであり、愛とは、倫理とは無条件で肯定されるべきだという宗教の大原則を謳ったものに他ならない。
 
この作品内において主人公が全肯定されるのには明確な意図がある。そして彼が対立し、打ち砕いているのは、決まって宗教組織内での合理性や排他的な原理主義、善人による合理的判断なのである。
敵対する側もまた、「正しさ」「信念」を持っており、「正当性による倫理の否定」を主張している。
上条は、それを「幻想」だと断じる。
逆説的に、愛は絶対であるという前提の証明を行うわけだ。
 
アニメ化を祝してとある魔術の禁書目録の書評をぶち上げます - Grippal Infekt
http://d.hatena.ne.jp/homiya/20081121#1227261313

まず上のはてな匿名ダイアリーの記事。物語でいう物語の導き手でこの文章では「オラクル」と記されてる、スターウォーズでいうヨーダとかがその役割。んで掻い摘んで言うと、とらドラはオラクル不在の物語で「自分ひとりで解決して乗り越える(乗り越えざるを得ない)」物語なのね。*1
 
まーでも今回はとらドラの話ではなくとある魔術の禁書目録の話。上の話で禁書の中で誰がオラクルか? と問われたらおかしな話だが「上条当麻」としか答えられない。その根拠としてようやく下の記事の登場って訳。禁書内で登場人物が合理性や排他的な原理主義から間違った正義を行おうとするが、上条当麻は悉く「その幻想をぶち殺」していく。その役割こそ禁書に置けるオラクルである。
 
ここで違和感を憶える点が2点あって、上条さんの「幻想殺し」が何故作中内のオラクルになるのかという事と、それと何故主人公がオラクルなんかやってるかという事、この2点が問題だったりする。
 
少々暴論ではあるがここで思い切った説を提案してみると……「とある魔術の禁書目録の主人公は、たまに上条当麻じゃ無くなるんだよーっ!!」「な、なんだってー!?」
 
つまりは上条さんの一人語り、俗に言う「上条説教」が発動する際は例えば対象が御坂美琴だったらその際の主人公が御坂美琴に、ステイルに発動するとその際の主人公はステイルに、一方通行に発動するとその際の主人公は一方通行になる。つまりは上条さんが一人語りをして「みんなが笑えるハッピーエンド」を半ば強要してそれを構成的に実行する事によって、他キャラに対するオラクルに無理矢理なってるという状態。
 
そして、視聴者はそんな上条さんに感情移入できる筈もなく、その対象者である登場人物、あるいは「俺の嫁」に感情移入する。そこから観測した上条当麻は明らかウザイ以外の何者でもない(酷 特に最近のオラクル不在の物語に慣れてきた視聴者なら尚更そう感じると思う。
 
後半はかなり勢いだけで書いた為、色々間違ってる部分があるかもしれません(汗

*1:この辺はid:y_arim 氏のこのエントリが分かり易いかもしれない  http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090209/1234169785