「きっと何者にもなれない」って何だろう?

輪るピングドラムで、ペンギンの帽子を被ったひまりが「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」って言ってたけど、この「何者にもなれない」って何だろう?



普通に考えてみれば、ここでいう「何者かになる」ってことは、力や権力を手にする、或いは英雄になる事を指すのだろうか? もうちょっと掘り下げて言えば、厳密な意味での「何者かになる」というのは、物語上の「役割」を与えられることを言うのだろう。社会でいう「社会的立ち位置を見つける云々」と同じ。安っぽい言い方をすれば「勝ち組になる」ってことのそれに近い。もちろんそれに意味を求めてない人には何も意味はない。


ではもっと曖昧に捉えると、常識をひっくり返すような存在のことだろうか? 確かにそんな何者かに成れたら、それはそれで楽しいのかもしれない。しかしそんな何者かになってしまえば、逆に常にリスクと戦い続けなければならない。出る杭は打たれるというか、そんな存在を放置しておく程「常識を固持しようとする力」は弱くは無い。



では逆に「何者にもなれない」とは何か? 普通に「何者かになる」から逆算すれば、何の力も権力も持たない、一生を普通に暮らすことを言うのだろうか? もっと拡大解釈をすれば没個性的な存在ということだろうか? しかし、ここでいう「何者にもなれない」ことの概念自体が、一種の強迫観念であって、本当に何者にもなれない存在など、存在などし得ないのではないのか?


例えば没個性においては、オリジナリティという概念自体が幻想ということと同じように、何者でもない私、というのもまた幻想であろう。表面上こそ意思や知識すら平坦な没個性に見えるのかもしれないが、それを形成する意思や知識のひとつひとつは、何者かから少しずつ得たモノである。

参考リンク:
オリジナリティは、「1000の分野から0.1%ずつパクる」ことから生まれる。 - マボロシプロダクト
http://d.hatena.ne.jp/si-no/20110716/1310816930

結局のところ大きく見れば「キャラが被ってる」人同士を見比べてみても、精密に見れば全く同じ人間など存在はしない。



まぁピングドラムでは「何者にもなれない存在」から脱したい理由は「ひまりの救出」とハッキリしてる。というか、そもそも「何者にもなれない存在」ではなく「重要な何かが欠落した存在」というべきだと思う。ピングドラムにおいては特にそうだと思う。では、この妙なズレは何か? まぁ、単純にそれがキーなのかもしれないが、まあでも現状ではトリックスターが言う狂言回し程度のことだと思っておこう。


また「何者にもなれない存在」を肯定したのが日常アニメだと思うんだが、この辺は見てる人はどう捉えてるのだろうか? まあ、単にこの辺は層が被ってないだけか、別にそこまで考えてアニメ見てる訳ではないか、そのどちらかだろう。