Re:アニメに「現実主義」は不要である

あままこ氏(id:amamako)のエントリを読ませて頂きました。

アニメに「現実主義」は不要である - 斜め上から目線
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20111022/1319237327

指摘に関しては、ほとんどがその通りだと認めます。特に私の無意識下の中で『現実感のある演出でなければならない』という意識は、確かにあり、この点は私も内省しております。私が「木を見て森を見てない」見方をしてるのも付け加えて反省致しております。でも治し方が分かりませんが……



しかしながら少し誤解があるので訂正いたします。まず、私自身はアンチであるつもりはありません。確かに否定的なエントリは書きましたが、だからと言って、ピングドラムを全否定するつもりは無いのです。

また、私自身を批判するのは一向に構わないですが、以下のツイートのような、あのエントリ読んだ人にまで当たるのはやめて頂きたいと思います。

更に加えるなら、あのエントリを読んだ人のツイートを所々で読みましたが、あのエントリ自体は別段有難く思われてはいないと思います。



たた、気になるのは記号について、この辺りは私自身も迂闊に記号という言葉を軽々しく使ってしまったことと、記号から何も生み出せないという認識には誤りがあり、そのことは自身でも内省してます。しかし記号から受け取れる解釈は、あままこさんが挙げたシーンの場合、私が受けた印象とはかなり違うのが気になりました。

そこは、この辺りから……

例えば苹果の両親の喧嘩のシーン。あの場面では両親を魚類に擬魚化(?)するというような表現が取り入れられました。あれがもし普通の人間の姿をしたまま、人間の夫婦喧嘩っぽく描かれたら、私たちは多分それを「あーよくある子どものトラウマだなー」程度にしか思わなかったでしょう。ところが、あそこで魚類という記号を用いて描くことにより、当時の苹果にとって、両親の夫婦喧嘩が一体どのような現象としてイメージされていたのか、子どもだから、なんとか可愛いイメージで処理しようとするんだけど、しかし可愛いイメージだからこそそこで描かれるものの過酷さがより引き立ってしまう。そこで視聴者の心にも、当時の苹果が感じたであろう怖さや悲しさといった感情が、響いてくるのです。いったい何故か?だってあの場面で苹果は、確かにああいう記号によって世界を捉えていたんですから。


アニメに「現実主義」は不要である - 斜め上から目線
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20111022/1319237327

このシーンにおいて、私はこう感じました。ただこの発言自体、ちょっと人間性疑われるかも知れませんが……

まぁこの辺は記号以前に、受け手としての感覚の違いが大きいのだと思いますが。



以上が、あままこさんのエントリに対するレスポンスです。ここから余談なのですが、今回の指摘自体、かなりハッとさせられました。

えっ、罵倒に近いこと言われていやな思いしたんじゃないかって? いやいや、批判に中身があればバッチこいですよ! この人達みたいにただ罵倒するだけして中身の無い悪口言う人には、是非とも見習って欲しいものですね。

具体的な指摘なしに残念な感性とな!?


ひどい、ひどすぎる、別に私は私個人の感想を書いただけなのにこんなこと言われるなんて、しかも批判してる対象が私だけじゃないのが余計にタチが悪いです……いやホント、真面目に批判するつもりがないなら黙っていて欲しいと個人的には思います。