コミュニケーションと情報受信の速度 『ゆるゆり』の赤座あかりが空気である理由は?

ゆるゆり」に赤座あかりという登場人物がいる。(以下アッカリ〜ン)そして単刀直入にいえば、彼女は劇中で空気キャラ扱いされている。そしてこれが本題だけど、ふと彼女が空気キャラ扱いされる理由を考えていたところ、唐突に「彼女が周りとのコミュニケーション速度に追いつかないから」じゃないかと閃いた。また作品が違うが「森田さんは無口」の森田さんもそんな性質を持ってるのかもしれない。単純に立ち位置や環境も違うとは思うけど。


こう思ったのは簡単な話、そういう体験をしたことがあるからで、言ってみれば「ポルナレフがザ・ワールドを食らったときみたいな」体験をしたことが何回かあった。しかし周りから見れば、普通に話を進めて行ってるだけなのだが、話の速度が余りにも早いので、思わず「ありのまま今起こったことを話すぜ」と言ってしまいそうになってしまう。


会話の速度が早い場合、頭の回転の速くかつ話の内容があまり無くても、適度に言葉のキャッチボールをできる人間が適している。つまりはじっくり考えたり、マイペースな人は、思わずポルナレフ状態になってしまうことが多いと考えられる。まぁ、森田さんはじっくり系で盤石タイプで、アッカリ〜ンは輪郭が捉えきれないふわふわタイプだと思うけど。



ここでふと「情報格差」という突拍子も無い言葉が浮かび上がった。



情報格差」だけでは余りにも突拍子が無さ過ぎるので、分かりやすく説明する為にここは「なでしこジャパン」の話題を例に挙げるとする。 この「なでしこジャパン」に関してのニュースやスポーツ番組で随時仕入れるケースと、まったくそれらを見ないケースがある。つまりは情報の速度に追いつける人は、初めからその情報の道筋を追うのに余念がないのだが、まったく情報の道筋を追わない場合には普段の会話で「なでしこジャポン優勝」を知る始末になる、まさにポルナレフ状態


あとは、なんてーのかな、温度差が違うのが大きいんだろう。その共有する関係性を、ポルナレフ派は無視してしまうというか、本当は無視してる訳じゃないけど、完全理解が10として周りが7まで理解出来てる中、ポルナレフ派は2までしか理解できてないとか、そういう感じ。



さぁ、困ったことに話の内容がふわふわしてきましたよ……



ここで例になでしこジャパンを挙げた場合だと、この日記の読者層を考えると「ああ、分かる」と共感されてしまう可能性が高い。(失礼な)しかしここで共感されてもらいっぱなしでも困る(ポルナレフの方でなく、速い側に立って頂きたい)ので、ここで更に例を挙げるとして、あえて「ピングドラム」で挙げたいと思う。


私のピングドラムの作品理解としては「ペンギンかわいい」「2話で変態が出てきた」と本当にその程度である。しかしながら、この界隈ではありとあらゆる様々な方向への考察や話題が進んでいて、正直ポルナレフ状態である。っていうか、何でそこまで読み込める手間暇かけられるんっすか…… 単純に私に熱意が無いだけならまだしも、実際そうじゃないからね、ピングドラムに関してはテンション高いからね!


いや、まぁ、これは愚痴を言いたい訳じゃないんですよ。正直わざとこの例を出しただけで「好きだけど、ぶっちゃけ今の速度には追いつけない」っていう感じに近いんですわ。私は目的地までチャリンコでゆっくりこぎこぎしてる中、周りはスポーツカーをアクセル全開で飛ばすみたいな。



さぁ、困ったことに更に話の内容がふわふわしてきましたよ……



この場合、何処に優劣があるか分からないんだけど、単純に「熱意」の問題ではないと思う。やっぱどこか頭が良いひとは、その話題のモノにある「軸」に辿り着く速度が圧倒的に速いんだろう。もちろんこれは広義的な「頭が良い」って意味で、厳密に頭が良いんじゃないんです。


この例えに対し、アッカリ〜ンと森田さんを当てはめてみると、アッカリ〜ンはその軸を知覚するのが遅い。森田さんは軸を必死に探すのだけど、軸が見つかる前に相手が勝手に納得してしまう。こんな感じかな?


まあ、でも、話題について行けないことに関しては、ふたりともたぶん気にしてないんだと思います。しかしながら、その結果つきまとう「キャラ付け」に関しては結構気にするんだと思います。うーん、こいうのって後腐れなくできないもんかねぇ…… というふわふわした結論でこの話を締めます。



まぁ、別にこの話に関しては、誰が良い悪いって尺度の訳じゃないんだよなぁ、単純に速度が違うだけでそれ以外はほとんど変わらない。しかしその速度が、絶対的な差を作り出してしまう。そして一番肝心なのが、その結果変なキャラ付けが決定されてしまうという事態を引き起こすのが問題かな?

ああ、あと追記、持たざる人から持てる人が「何を持ってるか」はとても分かるが、持てる人が「自身が何を持ってるか」は、実は意外と知覚できなかったり、言語化できなかったりする。