「想像力の欠如」っていうけど、じゃあ具体的にどうしたら良いのさ?

※今回は日記やアニメ以外のエントリで、また後半の自分語りがありますので、苦手な人は注意してください。

ふとツイッターで気になるツイートと、それに反応した記事を見つけたので、自分の意見を書き起こしてみる。その気になる記事は以下の通り。

 リツイートされていた「流行歌の歌詞」に絡むツイッター記事を読んで、ちょっと思い出したことがある。
 そのツイートは、演歌の「津軽海峡冬景色」は、感情を表現する言葉を一切使わず、情景描写で聴衆に感情を想像させる歌だが、最近のJ−POPと呼ばれる歌は、感情を表わす言葉が多過ぎる――といった内容のものであった。

(中略)

 同時に、最近流行の歌の、感情を直接的に表わす言葉の多用ということについても、改めて思いを致した。
 ツイートの主は、これを「想像力の欠如」と呼んでおられたが、どうもそれだけではないような気がする。想像力のみならず、思考力、表現力、語彙力、感受性……等々、様々な要素が部分的或いは全体的に、日本人の中から欠如して来ているのではないだろうか……。


素人なりに音楽と歌詞の関係について思うことなど・追記: 日々是筆事〜ひびこれひつじ〜
http://dike.cocolog-nifty.com/kohitsuji/2011/11/post-90c5.html

色々と言いたいことは後回しにするとして、私が言いたいのはただひとつだけ。


それは「仮にあなたのその指摘が正しいとして、情景描写で聴衆に感情を想像できるようになるには、どうしたら良いのですかね?」という疑問のみ。上記のエントリはただ欠如している事のみを書いてるだけで、それに対する対策は書いてはいません。欠如を憂うのであれば、その対策が書かれていてもおかしくはないはず、でも書かれてはいない、いったい何故でしょうかね? 私自身ならば、問題点はできる限り改善するよう努力しますし、その何かが足りないのならできる限り補ったり勉強したいと思ってます、でもそれすらない。


以上で言いたい事は終わるのですが、以下に具体例の提示についてや、私の場合について書いていますので、時間がある方はどうぞ。


しつこいようですが、具体例は挙げましょう

過去にけいおんのシリアスを否定するなら、もうちょい具体例を挙げよう - TinyRainで引用したことと全く同じことを引用しますが、要はこういう事です。

http://twitter.com/karimikarimi/status/1720833970
具体例を挙げずに「〜みたいなの一杯ある」っていわるのが大嫌い。以前デスノートを批判している人が「こんな発想一杯ある」と言いつつ一つも例をあげないでやんの。星新一や水木すらあげーねーのな。「みんな持ってる」っていう子供の駄々と同じだ。

私も大嫌いとまではいかないが,それなりに嫌い.

挙げればキリがないから,挙げるのが面倒くさいのかも知れないけど,「〇〇みたいなの一杯ある」って指摘をするときはできるだけ具体例を挙げた方がいい.

「具体例を挙げない」ことは損してると思う - WebLab.ota
http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20100114/1263489643

引用元と同じように述べると、思考力、表現力、語彙力、感受性、そのすべてが、ただ無い無いと言われても、具体例が無いのだから、それはただの子供の駄々と同じだと思います。


私の場合では「想像力の欠如」と言われれば、確かにそうかもしれません

さて、ここからは自分語り入ります。記事元が「想像力の欠如」と言ってはいますけど、確かに私自身「津軽海峡冬景色」には、何の感情を込めてるか分からなかったりします。


一応情景はある程度想像はできるのですが、この「津軽海峡冬景色」がいつ頃の時代背景を指しているのか分からず、また何故津軽に帰るのか? 何故歌詞中の男女が別れなければならなかったのか? 時代背景を完全に無視すると「距離があっても携帯やインターネットがあるじゃない?」と思ってしまいます。この「津軽海峡冬景色」のリリース年は1977年、私は1982年生まれだから、そもそも生まれてすらいねぇ!? 生まれてくる前の時代背景を理解せよと言われても、正直色々と困るんですが、これも「想像力の欠如」なのかもしれません。


というか、このブログを前から読んでる人で、察しの良い方は気づいている方がおられるかもしれませんが、私は共感能力が極端に低いです。過去にセイクリッドセブンにおける「カモがネギを背負ってくる」展開を分析してみた - TinyRainで語ったように「周囲とろくにコミュニケーションが取れず、受け身のコミュニケーション方法を取らざるを得なかったのと、友人以外だと男性より女性の方が喋る回数多かった……というか、そもそも男性と喋る回数が絶望的に少なかった」という事情があり、感受性が自己中心的になっており、他の人と比べかなりの強度で「自己」と「他者」の壁が深いと自己分析ができます。


だから私にしてみれば、人間誰しも「この歌詞ならばその通りに想像できる」みたいな感情や共感って、正直幻想だと思うんですよね。別所でも語ったのですが、共有感覚なんてどこまでも「その人とその時間を共有し合ってる」という錯覚だけで、実際は何も共有しあってない、つまりは幻ってことだと思うんですよね。


まぁこの考え方は、明らかに共感能力が極端に低いからこのような考え方に至ったのであって、正直他の人がどう感じてるのかさっぱり分かりません。だって自分じゃないし。



関連エントリ:
けいおんのシリアスを否定するなら、もうちょい具体例を挙げよう
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100422/p1

セイクリッドセブンにおける「カモがネギを背負ってくる」展開を分析してみた
http://d.hatena.ne.jp/str017/20111101/p1