戦う司書と「超人と常人」

ふと、戦う司書の登場人物において、ざっくりと「超人と常人」の二種類に分けられる事に気がついた。が、ちょっと考えがまとまらないけど、メモ程度に書き残しておく。

超人:超無理な問題を前にしても、絶対の自信を持つ
常人:超無理な問題において、少し頭を巡らせて無理かどうか検討する

絶対的な精神を持つモノと、持たないモノ。あるいはそれに順する力を持ち合わせるモノ、持ち合わせないモノ。感性のみで突き進めるモノと、理論を必要とするモノ。キャラクターの関係性において、常にこの二つの対比は存在する。


具体例を挙げるとすると、戦う司書において「本になった後、ルルタに飲まれた登場人物は、超人が多い」という仮説を挙げることができる。例えば、ノロティ、モッカニア、ビザク、イレイア、ヴォルケン、そしてハミュッツ=メセタ。いずれにおいても「超無理な状況を前にしても、絶対の自信を持つ」者達である。


また、そういう概念で見れば神溺教団の教義や真人達も、ある種の「超人集め」=ルルタを満足させることができる≒ルルタを良い方向へ変質させることができる、という神溺教団成立時における、ルルタ対策のアイディアだったのかもしれない。



関連過去エントリ:
戦う司書における、本と伏線と戦死者のまとめ
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100324/p1
戦う司書 第22話 と戦う司書における花田十輝氏の凄さ
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100301/p2