『続・あずにゃん問題』改め、あずにゃんが抱えるオルタナティブ的な問題

昨日のけいおん!!第1話の感想 の続き、というかこっちが本題。


■序文、あるいは導入。

けいおん!! 第1話において、新入部員ゼロという状態と、それに対する唯と梓が新入部員を必要としかったことで、微かに「今はあの五人でいいけど、一年後どうするのよ」という問題が提起された感じがします。


これは過去にあった『あずにゃん問題』で挙げられた「より上のステージを目指す」のか、それとも「仲良しな場所を大切にする」かのオルタナティブな選択に似ている感じはします。ですが、その提示された問題はまったく違います。*1


この問題が提起したオルタナティブな選択を挙げると、ひとつは「新入部員を入れずに現状維持」すること、もうひとつは「新入部員を入れて軽音部を維持」*2し、場合によっては「放課後ティータイムからの別離」という可能性も含まれています。*3


つまり、このオルタナティブな選択を簡単に例えれば、梓は「放課後ティータイム」か「軽音部」のどちらを選ぶぶか? あるいは両立させてしまうのか? という問題提起です。



■この問題について、どのような結論に至るか?

では梓が、或いは放課後ティータイムが選ぶ選択はどれなのか? 現状で挙げられる候補と、その詳細を挙げてみます。

  1. 放課後ティータイムの現状維持
  2. 新入部員を入れて変化を与える、あるいは離別
  3. 両立してしまう
  4. 描かれない


1,放課後ティータイムの現状維持
まずは、第1話での通り、このまま軽音部に新入部員が入らず、梓の代で廃部というパターンから。何故梓が新入部員を積極的に探さないという結論を取ったのか?


もし新入部員が入って、軽音部が存続したしても、それは既に本質には別物になります。もっと細かく言えば「放課後ティータイム」としては形骸化して、まったく別の存在になってしまう、つまりは、一期で梓が選択した「仲良しな場所を大切にする」ことが無意味になってしまう。だとすると、選択肢としては「放課後ティータイムの現状維持」が一番可能性があることになります。


しかし、いずれか軽音部が無くなる状態で「放課後ティータイム」を存続させるのは非常に難しい。するとここでポイントになるのが、第14話のライブハウスの話になるのでしょう。*4この第14話のライブハウスの存在が、ある意味「放課後ティータイム」が外部と接触する、という前触れになってると予想できます。つまりは軽音部という殻から出でるときがくる、ということでしょう。


どちらにせいよ、今まで「閉鎖的な空間で展開されていた」というストレスを抱いてた方々も、楽しめる構造になってそうな予感はします。この選択が内包する状態は、RPGでよくある「はじめてフィールドに出る状態」みたいな感覚に似てて、今からとてもわくわくしてきます!!



2、新入部員を入れて変化を与える、あるいは離別
1でも書きましたが、新入部員が入ると、軽音部は「放課後ティータイム」とはまったく別の存在にります。


しかしながら、ここで「軽音部が潰れたら放課後ティータイムも潰れるんじゃない?」という疑問や、「軽音部を潰してまで放課後ティータイムを存続させたいのか?」という違和感も挙がるのも確かです。*5


また、それとは別の問題として、梓は唯達とずーっと一緒にいるのか? という疑問もあります。私が過去に第13話で「少なくとも今は旅立つときではない」と書いたのも「いずれは旅立つときが来る」という意味も含まれてて、そう考えると唯の「わたしを置いて先に大人にならないでよ?」という台詞は、実に未来を否定しかねない危険な選択になります。


ひょっとして、二期で終わるのなら、この終わり方かな? とは思ってるのですが、まあこの論を一番支持する私ですら、コレはないと思ってたりします(汗 しかしあんまりな解決方法でを展開したとします。ならば私は「さよならピアノソナタ」とにした批判と同種の批判をするでしょう。



3、両立してしまう
むしろ、両方とも壊すことなく、梓が「軽音部」と「放課後ティータイム」の架け橋になる。という可能性もあります。問題はこの選択が一番むずかしく、その負担も仲介者である梓ひとりにかかってしまう、ということでしょう。


まあ、現時点では両立に関しては、まだ分析できることが少なそうです。と、言ってしまえばこの「軽音部」と「放課後ティータイム」の問題も、早計といえば早計なのですが……(汗



4、描かれない
あえて劇中でこの問題の解決を描写せず、結論を描かない。という可能性もあります。

しかしこの辺棚上げしてしまったら、逆にもし3期やろうとしたとすると、逆に棚上げしたことが足を引っ張ってしまいます。つまりは、いずれかは「軽音部」にしろ「放課後ティータイム」にしろ、次の段階へと至らなければならない、ということは約束されています。その為、そもそも描かれないのはおかしい為、この選択は考えられないでしょう。



■この検証から浮かび上がる論点

詳しい論点は本編中に提示されるとして、今挙げられるものとしては…


・当人が幸せになる選択、どの結論がよいのか?
恐らくは放課後ティータイムの現状維持か両立か、でしょうかね。ですがこれに関しては、人それぞれの考え方があるとは思います。少なくとも第一期で「あずにゃん問題」が提示されるぐらいに。


・あるいはこの問題に対して、当人(あずにゃん)はどう考えてるのか?
これがこの問題を考える上でのポイントだと思います。


・そもそも、この問題は提示されてるのか?
→難しいですね、結局私の持論が空回り、という可能性もありますし(笑




ちなみに、これをツイッターで書きつつ色々考えておりましたら、色々意見が飛んできて、良い意味でこのエントリにかなり影響を与えて頂きました。この場にかえてお礼させて頂きます!!1



関連過去エントリ:
けいおん! 第13話(番外編)
あずにゃん問題なんて、ほんとはなかった
吾妻さんのけいおん批判に関して、私なりに思った事

*1:むしろ「より上のステージを目指す」だけの選択は、一期で完全に破棄されたと考えられても良いのかもしれません。

*2:放課後ティータイムの枠組みを変えてしまう?

*3:もちろん、フタコイや一昨日のハガレンでもありましたが、オルタナティブな選択で半ば『やくそくごと』になっている「第三の選択」についても失念してはいけません。

*4:私はまだ見てないんですが…(汗

*5:ここはあえて意地の悪い書き方をしました。