パロディに対する厳しい視線と、整然さと、閉塞感と

最近、パロディに関して厳しい視線が向けられるようになってきてるような気がする。


理由は分からない。分かる事といえばパロディに対して厳しい視線を向ける人達は、何処かパロディとパクリを混同しているフシがある事と、整然としたモノを求める為、混沌としたモノ(≒パロディ)を嫌う、という傾向があることぐらいか。


前者は問題外なので放置するとして、後者の傾向は最近とても増えてる気がする、というかその『整然』レベルは『混沌』どころか『遊び』すら許さない状態になってる気がする。また、因果関係は無いかもしれないけど突発的な面白さを求めるものも減ってしまった気がする。


うーん、しかしどうもそれは真面目すぎないか? と思う。というか正直『整然』のやり過ぎで息苦しさや、果ては閉塞感すら感じてしまう。


私体験としては『混沌』から物凄い面白さが生まれてくるという体験を幾度も経験している為に、どうも理論整然としたガチガチ感を完全に信用していないフシがある。それと同時に私が持ってないのも『整然』よりは『混沌』の方が近いのかもしれない。私が普通のアニメよりへんなアニメを好むのもこれが起因してるのかな?


あ、あれ、文頭と文末が完全に関係無い話になってしまったぞ!? 何故だ!