『バカテス』の世界における「負の要素」の排除と「遊び」の要素

過去に『バカとテストと召喚獣』5話感想で書いた「原作そのまんまアニメ化したら陳腐」「たぶんレールガンと同じような批判を受ける」と書いたけど、これに関してもうちょい詳しく書いてみる。


まず、5話で原作でこれに該当する話(2巻のお話)でかなり端折られている事に気づいた。その大体が「熾烈な競争」だとか「不良」だとか「B組の彼」など、言ってしまえば「負の要素」がバッサリと端折られてる。と、ここである作品を思い出した、そう『超電磁砲』だ。


つまり『バカテス』と『超電磁砲』の差異から……

まずは、以下エピゼロさんのところから引用から。

バカとテストと召喚獣』の文月学園と『とある科学の超電磁砲』の学園都市を比べて、前者の居心地の良さに変な安心感を感じたりしている。

というのも、両者ともに「無能力であること」や、「バカであること」を相対化するような作りになっているのだけれど、『バカテス』が周囲の環境や学力自体をAR的にゲーム化している一方で、『超電磁砲』は超能力という身体能力同士の優劣をモロに都市カーストの内部に曝け出しているから。


『バカテス』の遊び、『超電磁砲』の躓き - EPISODE ZERO
http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20100207/p1

超電磁砲』におけるカースト最下位は惨めである、それに対し『バカテス』の方は昭久達やF組は惨めだろうか? また、『超電磁砲』では超能力がそのまま実力(力・権力)に直結するが、バカテスの召喚獣達はどうだろうか? こう見ると、『バカテス』における「試召戦争」自体は飽くまでゲームの延長線に過ぎず、本題は競争や争いでは無い、ということが見えてくる。


となると、自然に『バカテス』で排除される要素も見えてくる、つまりは上で挙げた「負の要素」である。私が「原作そのまんまアニメ化したら陳腐」「たぶんレールガンと同じような批判を受ける」と書いたのもこの為であり、これを原作そのまんまアニメ化したら、恐らくレールガンと同じような批判を受ける可能性はある。


この事をもう少し詳しくいうと、『超電磁砲』における閉塞感を生み出している要素である「熾烈な競争」だとか「不良」だとか「B組の彼」などを無造作にバカテス内に配置すると、非常によろしくないことが起こる。具体例を挙げると原作2巻では姫路さんと美波に対して婦女暴行の危機が迫っているシーンがあった、同人的には美味しいエピソードではあろうが、正直『バカ』要素を期待しているであろう初見さんには美味しくない。また、救出するエピソードも従来ある「不良達からかわいい彼女達を助ける僕たち」の延長線に過ぎない。


アニメにおいて「原作の蓋」を突破すること、それとナベシン

上記のエピゼロさんの記事において、まっつねさんが返しで触れた記事もまた引用すると。

そして「禁書」という「ふた」がある限りは

レールガンは発射されないし、

暴発もしない。

じわじわと磁力を貯めてビリビリしてるだけ。


もっとも - まっつねのアニメとか作画とか
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100208/1265634345

そう、『超電磁砲』において最大の問題は『禁書目録』という蓋が存在することである。二次作品において一次作品は常に蓋になりえる可能性がある、だが『バカテス』では『遊び』の要素でその蓋を見事に突破してしまっている。


前回の第4話では、「日曜の補習」というシチュエーションを追加したり、弁当エピソードにおける「主人公はその弁当を食べられない」という定石を崩したり、主に美波の視点で物語を捉えることによって、『バカテス』という作品の可能性を高めていた。

バカテス第4話における「静謐さ」と、弁当エピソードにおける定石崩しについて - 流し斬りが完全に入ったのに
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100203/p1

そして3話と5話のナベシンである。なんというかあそこまで無茶苦茶なパロ……詳しくはまたもやまっつねさんの以下の記事を参考に。*1 *2

バカテス5話 - まっつねのアニメとか作画とか
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100204/1265289750

上の方でも挙げたけど、原作における「負の要素」を排除しようとすると、このエピソードは実に難敵であると言わざるを得ない。理由としては原作2巻での話の8割が「熾烈な競争」だとか「不良」だとか「B組の彼」などの「負の要素」で固まってしまっている。


では、対してナベシンにおいて再構成された『バカテス』はどうだろうか? 私の意見を言わせて貰えば、なんというか正直ここまで無茶苦茶やっといて作品ブレイクどころか更にのびしろを伸ばしているという自体に、正直ナベシンは勿論のこと『バカテス』という作品のポテンシャルに驚かされるばかりだ!!!


残された「違和感」

だが、ここで謎がひとつ残る。3話と5話のナベシン、4話のあおきえい氏の作風にすべて預けている訳では無いが、そこでも少し違和感が残る部分がある。私もまだこのことに関して言語化できてないのでアレだけど、具体的にいえば3話においての「ラブレターから覗く姫路さんの顔」4話においての「美波視点から見た昭久(とF組)」5話においては冒頭の「校長の叱責」である。正直な話、この辺りはすごい「違和感」を感じる。


とくに5話の「学園長の叱責」は話題には挙がらないものの、見てる人にとっては「わざわざやらなくても…」と思うシーンだろう、しかもこれがナベシン回だから余計に違和感が残る、なんというか『バカテス』からみても「ナベシン」からみても、らしくない。


気になる、まだ何か見落としているような気がする、そんな予感がしながらもモヤモヤのウチにこのエントリを〆とします。うーん、もやもや……

*1:って演出論他人に丸投げ過ぎだよ君!

*2:だって演出論苦手なんだもん!