バカテス第4話における「静謐さ」と、弁当エピソードにおける定石崩しについて
バカテス4話に関して前の感想では軽く触れただけで終わったけど、もうちょっと掘り下げてみたり。
前置き:「日曜の補習」というシチュエーションを追加すること
ふと気になったのが、「日曜の補習」というアニメオリジナルのシチュエーション。原作ではただ弁当を食べるだけのシークエンスがアニメでは日曜の学校という要素を加えることにより、独特の静謐さ*1をかもし出していて、尚且つそれにより夕方の弁当を渡すシーンが非常に効果的に描けていたと思う。*2が、「日曜の補習」自体、このシチュエーションを設計する為にそうしたのか、それともたまたま偶然の産物なのかは、今回だけでは判断が難しい。またバカテス4話の「静謐さ」のシチュエーションは、あおきえい氏の絵コンテと相性が良いのもポイントかと。詳しくはまっつねさんの記事で!
大沼心 ミーツ あおきえい 〜バカとテストと召喚獣〜 - まっつねのアニメとか作画とか
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100128/1264683854
ここから本題:弁当エピソードにおける「主人公はその弁当を食べられない」という定石崩し
ここからこのエントリの本題になるのかな? 今回のお話は上記の通り素晴らしい回ではあったけど、ここである点が気になった。それは古来弁当エピソードと腹を空かせた主人公がセットになる場合は「最終的に弁当は横取りまたは失われ、主人公はその弁当を食べられない」というのが定石だった。*3が、今回その定石を崩してきた、それはなぜだろう?第4話の主人公は美波という仮説と、その視点について
少々論理は飛躍するが、あえてここで「第4話の主人公は実は明久ではなく美波だったのではないか?」という仮説を結論として置いてみる。実際内面描写の量や描かれるシーンの割合から考えると、この説は不自然ではないとは思う。そうすると最終的に弁当がしっかりと明久の手に渡った、というオチも納得が行く。*4これに関して、原作を2巻の途中まで読んでいたときにある事に気づいた。実は原作では主人公は昭久で語りも昭久ベースであるのは原作もアニメもそう変わらないんだろうけど、実は原作とアニメの決定的な差が存在する。それは原作において美波が昭久の事をどう想ってるのかは行動によって察するしかないこと、もっと詳しくいうとアニメにおける美波の心理描写は原作では全くと言って良いほど無いのだ。*5これは私もかなり驚いた。
では何故に原作では描いたら面白そうな「美波と姫路さんの視点」が欠落してるのかというと、ラノベというジャンルの性質上一人称で進行する方が何かと都合がよく、他の人の視点を欠落させざるを得ないという側面あるので、アニメはその問題点に対してちょうどいい補完しているのかもしれない。
結論:バカテス4話は、マジでスゲェ!!
*1:つまりモブを少なくすることで、各キャラを上手く描いたり、FFF達がわっと増えるシーンをより強く描くことができる、などの効果がある
*2:シチュエーション自体は、夕方の黄昏と美波と弁当を照らし哀愁を漂わせたり。その反面昼に(厳密には真昼間では無いが)美波が独りで弁当を食べるという姿もあり、この2つのシーンは対照的な効果をもたらしていたと思う。
*3:この定石に関して合理的な解釈を求めるとすると、何もしていない主人公が何故かヒロインの弁当を貰える、というだけのエピソードだとオチが付かない為と推測することができる。
*4:主人公が美波の場合、弁当を「食べて貰う」のが最終目標であり、その最終目標に対し最大限足掻いた結果弁当を食べて貰えないではやりきれないだろうという説明。や、別の作品でそれやったような気がするけど気のせい気のせい!