デュラララ!! 第2話「一虚一実」 から見える再解釈された視点と大森監督の作品性

何か何か! 2話目もここまで盛り上がって良いんですか!? というぐらい凄い! 


とりあえず何が凄かったか、結論から言いますとアニメでは結構お話を細かく割ってて、原作ではアッサリ流されるところもアニメでは結構深く追っている感じが。そして、前回指摘したのにもかかわらず挙げなかった原作の展開から少し離れた「大森監督の作品性」みたいなのが出たのが一番大きかったですね。細かく挙げると以下の

  • 1:臨也の外道さがより光っていた。
  • 2:首無しライダーの独白が追加されていた。

この二点に絞られる感じがします。

1:臨也の外道さがより光っていた

原作ではただの自殺志願者少女だったのですが、アニメでは神近莉緒というひとりのキャラとして投入することによって新たに臨也を「客観的に」見る事により折原臨也を「再解釈」し、より深みが増したと思います。


それによって臨也の主観が出てこないことにより、より不気味に感じさせています、というか原作既読者でもよりイヤーな奴に感じたよ!! 何か微塵も愛嬌無くなっててより不気味になってるよ!!


ただ、ここで気になる部分としては臨也が相当アレな人ではあるのは事実だけど、原作には首無しライダーから見た臨也に「反吐が出る」ってPDAに打ち込むシーがありましたが、アニメでは出てこなかったことが気になります。

2:首無しライダーの独白が追加されていた

沢城みゆきさんによるセルティの独白(に近いもの)は、一見原作の焼き直しに見えますが、実はアニメオリジナルだったり。たぶん独白を差し込んだのは、差し込まないとずーーっと行動してるだけの気味が悪い人に見えるからだろうなと。


また「あなたが思うほど、この世界はひどくない」ってのは確か原作には無かったと思います。少なくとも1巻では出てこなかったのは確認済。この台詞は首無しライダーの性格と「ある価値観」によるものだと思うんだけど……これはネタバレになりそうなので自粛の方向で。

1+2:そこから見える「大森監督の作品性」

この二つの要素を見ると、どことなく大森監督の作品性みたいなのが、具体的に言うと「地獄少女」や「夏目友人帳」の近似性が出てたように感じます。


地獄少女で言えば、臨也がおとしめるモノで、神近莉緒が依頼者で、助けるセルティが地獄少女、という関係性に似てて、臨也が覗いてたパソコンや偽奈倉さんの声優さんが松風さんだったり、最後自殺しようとする点も、地獄少女であった雰囲気と、そこに内在してた「容赦のなさ」を感じるような気がします。


また、首無しライダーが助けたあとに「あなたが思うほど、この世界はひどくない」という言葉をPDAで残す辺りが、夏目友人帳のような「救い」の構造に似ていると思います。それ以前にこのデュラララ!!という作品はどちらかというとこの夏目友人帳に若干近い感じになるのではないか……という予感はするのですが、さてどうなるか先のことはちょっと分かりません。