「イリヤの空 UFOの夏」に内在する悪意に関しての一考

イリヤの空、UFOの夏〈その4〉 (電撃文庫)
秋山 瑞人
アスキー・メディアワークス
売り上げランキング: 102262
おすすめ度の平均: 4.5
4 イリヤラスト
5 イリヤの空、UFOの夏
3 いやいや
5 復刊しろ。増刷しろ。
3 いりゃああああ

Twitterでのやり取りで思い出したのと私の個人史として振り返る為に、今更だけど「イリヤの空 UFOの夏」でのラストに向けての悲惨な展開について触れたい。


この物語は救いようがないお話で終わった感じがあった。別にハッピーエンドが良くて、バッドエンドが悪いとか、そんなことを言いたいのではなく、要はそこに至るまでの過程に問題があった。というか嫌なモノを感じたという表現の方が正しいか。


具体的な箇所は、イリヤと主人公が逃亡し最終的に捕まる辺りまで。本来、この手のお話は悲劇に対して一種の「悲劇に対する正当性への弁明」(○○が犠牲になることで××が救われる)が与えられる、だがこの間の展開、つまりはイリヤと主人公という枠組みの中ではそれが無く、ただそこには悲劇の連続しか無い。


個人的には「悲劇に対する正当性への弁明への間接的な否定」があったのかもしれないと推測している。が、これは本題と関係ないので結論を保留する。


そう考えると疑問に残る部分が出てくる。連続する悲劇は最早「暴力」と表して良いレベルだと思うが、amazonのレビュー等を見ると、曲解かもしれないがどうも「イリヤが美しく散ったお話」として捉えられているような気がするのは気のせいだろうか?


しかし、やはりラストの一連の流れで「悲劇に対する正当性への弁明」が立てられ物語が完結する、その流れで納得した人の方が多かったのだろう。Twitterにて「悪意に耐えられなかった人の優しさなのでは?」という意見を貰ったが、たぶんそういうことなんだろう、たぶん。