さよならピアノソナタ #4 と、「とらドラ」との近似性と、そこから見える様々な縮図
- 作者: 杉井光,植田亮
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
- 発売日: 2008/12/05
- メディア: 文庫
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とらドラとの近似性
唐突だけど「さよピア」と「とらドラ」は非常に似通った作品だと思う。*1もちろん外的要素の事ではなく内的要素の事で、手乗りタイガーとか目つき悪いとか記号的要素は余り関係しません。で、似通ってる部分を分かる限りで挙げてみると、キャラ固定、オラクルに近い存在の複数存在、善意からの行動で人が傷つく、それ以前の前提として恋愛モノである事など、とらドラと似たような要素が多く見れたり。「オラクルに近い存在の複数存在」や「キャラ固定」に関しては以下の記事を参照にしてもらいたいです。10代がとらドラ!について感じたことを書いてみた - 3LDS -Love,Like,Life!! Diary@SmiLey!-
http://d.hatena.ne.jp/sad_smiLey3/20090215/1234704064
例を挙げると「オラクルに近い存在の複数存在」は神楽坂先輩を筆頭に、古河さん他バンドメンバー、先生*2、エビチリ、そしておまけで哲朗…等が挙げられます、ただ違うのが「さよピア」は「とらドラ」と違い大人が大人としてギリギリ機能している状態な点が違います。ただし、明確な意志決定としての手助けとしては、全く持って機能していないのは確かですが。「キャラ固定」に関しては劇中で神楽坂先輩が使用している「役割」がそれに当たります。*3ただし「善意からの行動」に関しては多少違う面がありますが、詳しくは別項で。
「とらドラ」も似たような描写があり、役割こそ明確ではありませんが川嶋さんが言うに竜児とみのりんと大河は、それぞれパパ役、ママ役、子供役と例えられます。*4ただこの辺は上記の記事から引用すると「竜児や大河、実乃梨や北村や亜美たちの繰り広げるすべてが、高校というモラトリアムの中のきゃっふきゃっふでしかない」訳ですよね。
「ずっと一緒にいたい」≒「フェケテリコ」が存続した理由
基本的には「さよピア」も「とらドラ」も善意を元にして行動する人物しか居ないのですが、「さよピア」ではこの巻になってある人物が初めて悪意を持って行動します、それは当作品として最も「オラクルに近い存在」として指揮を取っていた神楽坂先輩の事です。彼女は突如物語内でのオラクルの役割を辞め、そして悪意を持って真冬と直巳の仲を引き裂こうとして、その結果自ら作り上げた「フェケテリコ」を壊してしまう事になります。その後、直巳や千晶や神楽坂先輩がそれぞれ「ずっと一緒にいたい」という意志を持っていた為、「フェケテリコ」は半ば機能停止状態なのですが存続していく形になります。神楽坂先輩は過去のバンドメンバーとの確執で、千晶は……劇中でかなり独りになる事を恐れているという描写はされてます、けど理由あったっけ? 何だっけ? 忘れちゃった。直巳は鈍感だからむしろ今までの感じでやっていける感じはします……が強い動機が「真冬の帰ってくる場所を意地する」ような理由のような気がしたりしなかったり、まあ朴念仁だから別にいいや(酷 と……うろ覚えで申し訳ないんですが、このようにそれぞれが「ずっと一緒にいたい」という理由で「フェケテリコ」は存続する事になります。
しかし、何故に終わり無き友情という名の幻想に彼らはすがるのでしょうかか、時期が経てば経つほどその友情の絆はだんだん薄くなっていき最終的には縁は切れます。「さよソナ」も「とらドラ」と同じで、彼ら彼女たちの「繰り広げるすべてが、高校というモラトリアムの中のきゃっふきゃっふでしかない」訳です。しかし彼ら彼女らは何故かこの「終わり無き友情」にすがろうとしてる訳で、この辺りはまだ私の中では答えが出てません。
「とらドラ」に関してはこの辺り竜児が全く同じことを強調して述べていました。ですが「とらドラ」はまだ完結しておらず、そして彼らがどのような道を歩むのかはまだ分からない為、ここは保留します。
ここで凄い砕けた言い方で言うなら、人間前に進むならそれなりの別れも必要なんだよーって感じですかね。さらに言うならば新しい出会いよりも古いバンドメンバーを、それも半ば機能停止してる「フェケテリコ」を存続させる事が私には非常に理解しがたいです。