「どうしようもなく偽物」とは何だろうか考えてみた

さて、タイトルからこのエントリが「偽物語」について書いてあるのかと思いきや、実は正直「偽物語」は話半分で触れる程度だったりします。いや、ド深夜にマインクラフトで整地し飽きたので、色々物思いにふけっていたんですよ。で、そのときにこれまで考えていた物事の断片が一つに集約された感覚を覚えたので、急いで、しかし慎重にゆっくりと、このエントリを書き上げたんですよ。


さて、さっそく関係ありそうな過去エントリをざーーっと挙げていくと……

戦う司書と「超人と常人」
http://d.hatena.ne.jp/str017/20101117/p1

何でアニメは基本的につまらないの? 問題メモ
http://d.hatena.ne.jp/str017/20070920/p2

リア充のお兄ちゃん達は僕らの秘密基地(ヲタコミュニティ)から出ていってよ!(`・ω・´)
http://d.hatena.ne.jp/str017/20120130/p1

けいおん!! 第24話(最終話)
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100920/p1

このあたりですかね

まず戦う司書と「超人と常人」のエントリで挙げた「超人と常人の定義」について。

超人:超無理な問題を前にしても、絶対の自信を持つ
常人:超無理な問題において、少し頭を巡らせて無理かどうか検討する


戦う司書と「超人と常人」
http://d.hatena.ne.jp/str017/20101117/p1

ここに付け加えるなら、超人は絶対の自信を持っている上、超無理な問題を無茶苦茶とも思える方法で解決してしまう。対して常人は無理かどうか検討した上、だいたいは超無理な問題を解決する事が出来ない。この二つを付け加えたいと思います。そこでこの「超人と常人」を、そっくりそのまま「本物と偽物」にすり替えるとどうなるか? 案外定義と一致してると思いませんか?


さて、話を「偽物語」に移すと、その正義感から行動するも貝木に返り討ちに遭った阿良々木火憐。この火憐の「正義感とそれに伴う力を持たない未熟さ」、アララギ君もとい暦が言う「どうしようもなく偽物」であるのでしょう。私自体「偽物語」はまだ途中までしか見てないので、火憐の代わりにリベンジに挑む暦と相対する貝木との結末がどうなったのかは分かりませんが、ここまでの話で偽物とは何かは十分に提示されていると思います。と、ここまで書いて常人の定義に「少し頭を巡らせて」ってあるのですが、火憐が本当に少し頭を巡らせたのかは不明……というかこの定義少しオカシクナイカ? って今書いてて矛盾に気付いたギャアアアアアア!!!?



……はっ、今まで私は一体!? まぁこの定義自体を「偽物語」に当てはめるのも無理あるし、ここから本題ですね。どうしてそうなったかは長くなるので端折りますが、実はツイッターで色々disされたのですが、その中に「苦労したことがない偽物」というワードがありまして、このことで色々考えていたのです。

苦労という主語は定義が広すぎるから横に置いておくとして、私自身が果たして何かにおいて「本物」と呼べるようなものを一つでも持っているのか? と問われたら、無いんです。まぁこの辺は本当に「本物」と呼べるようなものを持っていると、自信を持って答えられる人の方が珍しいんですけどね。ほら、ピングドラムでも「きっと何者にもなれないお前たち」というワードがありましたし、そういえば「マイナビ2013の広告が気持ち悪い」みたいな話がどっかで出てたような気がするし……おっと、挙げてる例がどんどん危険な方向になって来てるので、例を挙げるのはここで止めます。



さて、この「どうしようもなく偽物」なものって、先ほど書いた「人間のアイデンティティ的な何か」だけじゃないと思うんですよね。たとえば、アニメとかもそう。

総合的な話としては「閉鎖的」な構造に頼ることによって、アニメというメディアは成長してきたが、その反面「閉鎖的」な構造によって縛られている部分もある?


何でアニメは基本的につまらないの? 問題メモ
http://d.hatena.ne.jp/str017/20070920/p2

これは完全に論拠なしの感性で言いますが、どうもその閉鎖的な構造が行き詰まって「どうしようもなく偽物」なもので溢れてしまっているのでは無いか? と思ってしまいます。あと、これは作品自体に限った話ではなく、作品の消費形態にも関係があると思います。

うん、前々から思ってたんですが、何故に彼らリア充のお兄ちゃん達は「みんなと同じ」であることが「勝ち」であり、「だれも見ていないアニメをひとりで見ている」ことが「負け」であるとみなして、あまつさえ「勝ち」陣営が「負け」陣営を貶めたり辱めたりするような行為を取るんだろう……? ここが一番不思議。「みんなと同じ」とか絶対にありえないのに、良く分からない……


リア充のお兄ちゃん達は僕らの秘密基地(ヲタコミュニティ)から出ていってよ!(`・ω・´)
http://d.hatena.ne.jp/str017/20120130/p1

何だろう、この結果が負のスパイラルを生み出してるような気がする。「みんなと同じ」であることが「勝ち」である→「みんな同じ」であるような作品が増える→作品の質がどの作品も平坦になり、画一的になる→「どうしようもなく偽物」な作品が増える、みたいな……え? 解決法ですか? さぁ、私には分かりませんが、たぶん「みんな同じ」であるような作品に対してつまらないと思ったときに正々堂々と「つまらない」と言えるような環境がそろえば現状は打破できるんじゃないんですかねぇ……というよく分からない結論で締め。


さて、ここからはちょっと余談ですが、ホント久しぶりにけいおん! の話を。

いやぁ、しかしですね、この通り「みんな同じ大学に行く」ってオチ、何か色んな所で問題視されるんですが、私は上記の理由で、これが問題? んなこったーないとは思うんです。しかしながら、梓の葛藤、これは意味があったのかと? いや、別に良い悪いではなく、むしろ梓居ないと見てられない作品だったと思うんですが、しかしながら他4人のお話と、梓のお話が正直水と油だったな、と思ってしまうのです。だって、話の性質が全然違うじゃないですか!?


けいおん!! 第24話(最終話)
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100920/p1

こーれ、上の定義であてはめると他の4人は「本物」という解釈で良いと思うんですが、では梓はどうなんでしょうね? 葛藤はあったけど本物? それとも水と油の偽物?