ノイタミナのディストピアはもう飽きた

まず前置きからいうと、これまでの努力主義、成長路線、その先にあるユートピアを目指して進むような一連の動き、これを批判的な視点で眺めるように描くというのが、私の「ディストピアの作品群」に対する認識である。しかしながらハッキリといわせて貰えれば、ディストピア作品……というかノイタミナディストピア作品はもう飽きた。


ノイタミナにおけるディストピア作品を挙げていくと、主に「図書館戦争」「東のエデン」「東京マグニチュード8.0」「フラクタル」「C」「NO.6」「ギルティクラウン」などがディストピア作品に該当する。中には「フラクタル」「C」「ギルティクラウン」等、私が視聴してない作品もあるが、図書館戦争のような例外を除くと、大体は社会に存在する既存のシステムを何だかの形でぶっ壊す、或いはぶっ壊れる様子を描くことが多い。

単純な比較ではあるが図書館戦争みたいなアホな内容と比べたら、NO6は作品として良くできてたと思う。それでも単純すぎる社会批判と過去のディストピア作品をなぞっただけのディストピアモノになってはいる。あとこの中で再生・再構成まで描かれている作品は、私が知る限りでは東京マグニチュード8.0ぐらいしかないのも厳しいところだ。


つまり結局はどの作品も同じように批判したいだけ批判をするだけで、批判した対象に対してそれ以上の価値観を見出せていないのだ。だが重要なのは価値観以前の問題で、同じパターンの批判ばかりだといずれは既視感を抱いてしまうようになる。もっと簡単な言葉でいえば見てて飽きる。やはり飽きさせない為にも批判にプラス何か付加価値がほしいところである。