「過去のインターネット」に絡めて、久々にまどかマギカについて書く

思えば、完結して最早8ヶ月も経とうとしてるのか、もうそろそろあの頃のアホみたいなエネルギーが忘れ去られてる頃なので語るには丁度良い頃合いだろう。映画化も決定してるみたいだしね。


なんかよく分からないけど、あの世界は言わば「自殺」か「他殺」しか認められてない世界で、まどかが与えたのは「自然死」なのだろうと今になって推測してみる。ただ世界の根本は変わらない訳でだからアレが救済だと言われたら正直もにょる。とりあえずまどか総論は「ほむらが見てた夢だった」ってことになってるので、まぁどうでもいい。私が問いたい問題はここじゃない。つまりはここからは「まどかマギカは9話で終わった」視点から改めて語り直してみる。あと、個人的には救済がどうとか混ぜ込むから話がややこしくなるのだと思う。


更に付け加えると、後々指摘することになるのだが、アレが救済であることも「見た人の心に内在する物語」としてはアリっちゃアリになる。もっと踏み込んで言えば、まどかマギカは「生き様」の物語だったと思う。どう戦ってどう死ぬのかという物語。一応私が過去に書いた総論からそう外れた感じではないと思うので、参考程度にそのエントリを貼っておきます。

まどマギを全話見た上での感想 - TinyRain
http://d.hatena.ne.jp/str017/20110426/p1


まぁ。なんというかまどマギにえらい入れ込んでる人がいるのは分かるんですわ。きっとそれは、作り手が用意した「生き様」に感情移入して自分の生き様と重ねてる人が多い。特に利他的でかつ献身的で仲間想いのさやかやマミさんの人気が高いのは頷ける。ただそういう意味で、そういう魔法少女という舞台装置の中で、主義主張を背負わされた少女達に憤りを覚える意見も分からなくはない。一応例としてこのURLを挙げてみる。

貴様こそ、爆発しろ - このページを読む者に永遠の呪いあれ
http://d.hatena.ne.jp/sutarin/20111116/p1


結局のところ、舞台の作為性という重大な点はあるとしても、一応見る目的としては、誰かの「燃え尽きるような生き様」を見たいってことではないかと思う。つまりは誰かが燃え尽きる様を見て、自身のことのように陶酔するような感じか。話広げると以下URLの話みたいな「過去のインターネットの英雄」の生き様を見て、自己陶酔する感じかな? これはちょっと違うかも知れないが、一応例として挙げておく。

かつて、俺たちはインターネットだった - G.A.W.
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20111124/1322071507

ある朝、インターネットは死んでいた - さようなら - ファック文芸部
http://neo.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20111123/p1

さて本当はここから、美樹さやか佐倉杏子についてくどくど語った上、彼女らを通してどうやって「生き様」に感情移入させるか? という説明をする予定だったが、生憎書く時間が無くなってしまった。つまりは見てる側が登場人物の生き様と死に様を見て自己陶酔する流れが、まどかマギカの魅力だったと言えよう。ちなみに私もまどかマギカの中では佐倉杏子にシンパシーを覚える。まぁ共有幻想的な観点から見れば、彼女にとっては迷惑な話かもしれないがねー


え、結論? なんていうかねー、私も熱量のある文章書きたかったけど、やっぱ無理だったよってオチですよ。賛否はどうあれ、熱狂的にまどかマギカを好きor嫌いな人の方が、それこそよっぽど熱量のある文章が書けることと同じように。


追記:
だめだ、不調だ、このエントリ正直インターネットとまどマギについて語りきれてない……