NO.6 #01 「びしょぬれネズミ」が凄い!

一言でいえば、この作品の、特に第1話は「台風の前のドキドキ感」が前面に出ていたと思う。


嵐や台風が来るという描写自体、普通は「何か良くない前兆」として描かれることが多く、またNO.6に置いてもその良くない事が起こる前兆という意味では、しっかりとその前兆として効果が発揮されているとは思う。例えば都市の外界は核戦争により破滅的な被害を被っていた土地だったり、またNO.6の都市自体も人間狩りを思わせるような非人道的とも思える行為、第1話ラストでの警察の到来等、しっかりとその伏線はちりばめられている。


つまりは単刀直入にいえば、ディストピアモノのとしての体裁をとっている。ただしそれは飽くまでマクロから見た作品観であって、飽くまでNO.6の本質はそこじゃないと思う。本質と大きく出てはしまったけど、ミクロから見た物語、つまりは二人が出会ったという物語が大切だと思う。


本題は下の方にある「台風のときのドキドキ感」の方なので、長いと思ったら前提は飛ばして下さいな…w


前提:「マクロ」と「ミクロ」または「表層」と「細部」

正直な話をすると、ここでマクロな視点をベースに物語を紡ぎ出した場合、良くある「ディストピアモノ」の輪郭以上のモノを見いだす事が出来ないと思う。作品の全体像を無視して骨格だけ抜き出しても、基本となる骨格は「ディストピアモノ」と同じ骨格で、取り立てた差異は無いだろう。細部を見るべきなのは、キャラクター原案やコンセプトデザインにtoi8さんを使ったことや、脚本に水上清資さん、監督に長崎健司さんを起用した時点で明白だろう……という証明方法は流石に杜撰すぎるか。


ここで脱線をすると過去に長崎健司監督は、水島精二監督の助監督を務めていたことがあった。その影響かどうかは知らないが、両氏とも表層よりも細部を追う方が楽しめるような作品を作ってる、と私は思う。例えば劇場版機動戦士ガンダム00だってそうだったと思うし。

いや、でもそれ以前に、劇場版00はテーマを見る作品じゃない、って見方もある訳で……まあ、実はそれは私の考え方だったりするんだけど(汗


劇場版機動戦士ガンダム00 におけるテーマについて
http://d.hatena.ne.jp/str017/20101003/p2

この辺に関しては、正直まだリサーチ不足なので、取り立てて具体的な事は書けないです。(なら何故書いた)


本題:台風のときのドキドキ感

何でそう感じるのか分からないけど「台風のときのドキドキ感」ってのが凄い上手くて、本来不吉な場面を表す気象の変更を、あそこまで楽しいモノにしてしまった時点でヤヴァイっていうか、流石長崎監督やで!! って感じてしまう。


ここで冷静になって考えてみると、客観的に見てこれから待ち受けるマズイ事態が、不吉な前兆からも見て取れるし、ネズミが紫苑に、自分を匿ったのは犯罪行為だと分かってるのか? と問いかける場面からも、重ねて不吉な前兆への確認はしている。


そこで紫苑が、それも分かってると述べた。その事が意味としては大きいだろう。つまりは実際訪れるマズイ出来事よりも、それをも上回るドキドキ感や、現状を打破する何かが待っているという期待感の方がそれを上回ってしまっている。ここでいう「現状を打破する何か」は、紫苑が沙布と誕生日を祝っているときに、沙布の母が言った、すべて揃ってるからやることがない、という事がそれになってくる。


しかし、それ以上に台風に自身をゆだねるようなプロローグから、真っ暗な部屋の中で価値観の違う二人が互いに語り合うその姿が、ワクワク感を加速させるというか。正直いうと紫苑がネズミを助けた理由に「分からない」と告げた事がそれに近くて、ちょっと言語化不可能。しかしながら、この作品、外殻はゴツイSF的なディストピアモノだけど、中身は「考えるな、感じろ」といい感じに近くて、論理から紡ぐ言葉よりも、感性から紡ぐことばの方が、この作品には適してると思う。


冒頭で脳科学云々が語られているのも、その対比を狙ってるのかもしれない、たぶん…w



いやぁ、それにしても凄い作品が始まりましたよ! つかもう既にこれ書いてる時点で2話やってる地域もあるし!?