それはむしろ「萌えの特権性」が失効したってだけではないだろうか?

元記事:
ラノベはそろそろ萌えブームが終わりそうなんだよな - 本読みのスキャット!
「ラノベはそろそろ萌えブームが終わりそう」…なのか? - ウィンドバード::Recreation


私的には「萌えブームが終わる」と言い切るには異議がありまして、萌え自体は、常にこころの何処かに内在するものであり、普遍的なものだと思うのです。そしてこれからの時代は、それプラス付加価値の方が重要になる、という方が、言い方としては適切ではないでしょうか。それこそJ-popから愛や恋などの歌が一番多いのと似たような理由で。

2010年は、萌えラブコメに定評のあるMF文庫Jが躍進した年でした。次々にレーベル作品のアニメ化が決定し、月々の刊行点数は倍増して電撃文庫に迫る勢い。「萌えブーム」というなら、まさに2010年がそうだったと思います。

一方の電撃文庫は、萌え戦略においてMF文庫Jに遅れを取っている感がありますが、もしかすると今後、電撃文庫MF文庫Jとの正面決戦を避け、この「青春ラブコメ」のラインナップを強化していくのではないでしょうか。


ラノベはそろそろ萌えブームが終わりそう」…なのか? - ウィンドバード::Recreation
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20101230/1293670284

この例の場合だと「青春ラブコメ」の部分が付加価値にあたります。


あえてゼロ年代のみで萌えを括るなら、付加価値が他の年代に比べて薄い事が特色で、更に加えるなら、萌えのみで成立することが「やっと許された」年代だった、と言っても過言ではないと思います。


ここで過去記事の「「かわいいは正義」という思考停止」からヌーボーさんのコメントを引用してみます。

かわいいは正義
このキャッチフレーズは『苺ましまろ』という作品に限定して言えば、つまり元々の意味合いとしては、

「立場」にも「能力」にも依らない、ただ「少女」であることだけで存在を肯定できるためのフレーズ

だったのではないかと思われます。というのも、この作品にはアニメや漫画にありがちな登場人物の「特殊さ」を強く排除する傾向を強く志向している節があり、そこで生まれたのが「ただそれだけ」という要素を全肯定するためのこのフレーズだったのではないでしょうか。


かわいいは正義」という思考停止(コメント項) - 流し斬りが完全に入ったのに
http://d.hatena.ne.jp/str017/20091226/p1#c1265084347

特殊さを排除することにより、苺ましまろでいう「かわいいは正義」が、やがてライトノベルにも輸入され「萌えの特権性」となり、2010年現在においてMF文庫Jが躍進するキッカケになったのではないでしょうか? しかし「萌えの特権性」だけを強調し続けると、その分次第に飽きていくもので、その後に「萌えの特権性」が失効し、付加価値の方に着眼点が行くのはむしろ自然な事だと思います。


形はどうあれ、萌えはその形を変えながら、付加価値の種類を変えながら、存在し続けるのでしょう、きっと。



関連過去エントリ:
かわいいは正義」という思考停止
http://d.hatena.ne.jp/str017/20091226/p1
他メディアからの要素の「輸出入」と、アニメ化するタイミングについてのメモ
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100717/p2