『ポジショントーク』について

とりあえず語り始める前に、まず『ポジショントーク』の定義から。

ネット上・言論上における用法
自分の立ち位置(所属団体・勤務先など)を明らかにして特定の事物に言及する行為。

ネット上の実名・匿名と関連するような形で、「匿名の立場で特定の事物をほめたりけなしたりする行為(隠しポジショントーク)」がおこなわれ、個人のモラル的にそれはどうよ、という話になったりする。


ポジショントークとは - はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DD%A5%B8%A5%B7%A5%E7%A5%F3%A5%C8%A1%BC%A5%AF

私自体『ポジショントーク』というのを意識的にはやったこと無いんですが、今ふりかえると、この日記での「あずにゃん問題」に関してや、ツイッター上での「ナイトレイドはコケる」や「デュラララにおける色の演出には深い意味はない」や「アニメーターが脚本書いたら大概は酷いことになる」に関してが『ポジショントーク』にあたると思います。あと感想系と批評系のどちらかに偏らないように、あえてバランスを取る、そんな言動もそれにあたるのかなーと思ったり。


しかしながら、一方で自分の立ち位置を明らかにする機会が少ないので、これがポジショントークに当てはまるのかどうかは謎です。そもそもの私自体が、「モノの考え方はころころ変わる」「八方美人な」性格なので、昨日ゆってたことを今日否定する、みたいなことは結構あったりする訳です。


しかしながら、上記で挙げた中で「ナイトレイドはコケる」と「アニメーターが脚本書いたら大概は酷いことになる」に関しては、ほぼ生理的な原理から提唱してたりします。というか、簡単に言うと前者が「血+ひどかった→血+の演出チーフはナイトレイドの監督→ナイトレイド絶対おもんない」で、後者が「ステルヴャーひどかった→他にもアニメーターが脚本書いた作品みたこど大概はひどい」という「経験」が、この主張に強くフィードバックされています。


正直な話、これに関しては誰に何を言われようが、自分の意見を変えることは不可能に近いです。経験というフィードバックの他にも、生理的な反応も同じことが当てはまったりします。もちろん全部の主張がこんなのではありません、というか大半は主張しきる事自体が大変なのでやりません(笑


しかしこれが世間一般でいう『ポジショントーク』なのかどうかは謎。