作品の方向性と、それに対するパロディのベクトル

前回のエントリ、パロディに対する厳しい視線と、整然さと、閉塞感と(http://d.hatena.ne.jp/str017/20100216/p1)でのブコメのお返事も兼ねて、パロディの「ベクトル」についてちょっと考えてみた。


まずブコメのお返事から。

spring-ephemeral anime 内輪ネタみたいに矮小化してしまうパロディはどうかと思います。あとは作風とのマッチングでしょうか。

確かにパロディ(とそこから派生する混沌とした状態)の中にも、作品において「良いパロディ」と「悪いパロディ」がある事はちょっと失念しておりました。一概に「パロディだから良いor悪い」とは限らず、作品との相性も関係してきますね。



と、ここで頂いたブコメを整理してみると、こんな感じになりました↓



「作品の方向性(あるいはベクトル)」があるとして、そこから見ると「作品を矮小化させるパロディ」は作品の方向性を逆に引っ張って作品の足を引っ張ることになり、逆に「作風とマッチしてるパロディ」は同じベクトルと同じ方向に引っ張り強い相乗効果をもたらすような関係性になります。



ただここで難しいのが「作品の方向性(あるいはベクトル)」の原動力といいますか、言わばメインになるベクトルが何か? と問われますと、中々もって難しいものがあります。あえて分かり易い言葉でいえば「その作品のウリ」は何か? という問いに近いのかもしれません。


またここで難しいのが、この図では作品の方向性がプラスに向いていますが、その作品の方向性が必ずしもプラスに向いている訳では無いあたりが難しいところです。