東京マグニチュード8.0 第5話

この話ヤバイなぁ、ぐっと来るものがある。地震で人が死んでいく光景ではなく、死んだ後の光景が未来ちゃんの前に広がる。ここで教会が地震によって、内包している意味が変わっていく。(ただ本来はこの意味合いの方が正しい、けどその意味合いで使われない方が良いのには変わりないけど)
 
未来ちゃんから観た友人の親が死んだ姿、その対比としての老夫婦の姿がまた何とも言えない。おばあちゃんの方は逃避として、おじいちゃんの方は贖罪として未来ちゃん達に接する、そしてその陰りを地震が増強する。何とも救われない話だ。
 
しかし、映像面としてはそれまでの強度がある力強い映像と違い、非常にゆるやかで優しい。その昼と夜の使い方の違いは、同じボンズの作品であるDTBを思わせるような、淡い光が照らす。ただこちらはDTBのような無機質さを併せ持った淡い緑の色合いとは違い、どこか暖かい淡いオレンジに近い色合いになっている。
 
そういえば日本人は「いざ」というときに助け合う民族らしい。ある種農耕民族のお手本みたいな姿だが、この作品で最初(災害に遭う前)に映し出されていたのは、それとは異なる姿であるように見える。東のエデンとはまた違う角度で社会の縮図を映し出すとは思いもしなかったが、身近な分こちらの方が分かり易いのかもしれない。