何故に私は「プラグマティック」なのかな

これは自分でも分からない。しかも自分自身が「プラグマティック」かと言われたら、そうで無いと断定できる。私自身は基本怠惰な人間だからね。しかし、まず私の迷信の解釈の仕方がかなり特殊で、ついったー上でも。

夜中に口笛を吹くのは、だいたいは近所迷惑だから止めなさいって意味だと思ってた。
http://twitter.com/str017/status/1748100747

「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」ってのは、単に「夜中に爪切ったら、何も見えないから深爪して危険だよ」って意味だと思ってた。
http://twitter.com/str017/status/1748126754

とかとか。夜爪の方は昔「探偵ナイトスクープ」で言ってた事を真に受けてるだけですが。しかしこれ以外にも、普段から「誰特」「生産性が〜」「効率が〜」と、こんなことばっかり言ってたりする、しかし実際の生き方は逆。これは自分でも意味が分からない。
 
推測できうる範囲では己の理想こそが「プラグマティック」なのだろうが、現実はそれに即していないと言う事なんだろうと解釈すると非常に辻褄が合う。
 
ここからは蛇足だが、またもやついった上で

そもそも夜に関するタブーの風習って、夜の意味合いが現代と明治以前だと全然違うから、そのタブー自体も、タブー本来の機能が停止ような気がするんだよなぁ。
http://twitter.com/str017/status/1748218615

と言ったが、これは少々間違いだったと思う。本来機能が停止しているのならば、風習として現在まで残っていなかった可能性が高いが、現にこういう風習は残っている。占いや迷信を信じる人間が多くいたところで、科学の前では迷信は無力である。だが残っているということは上記の私の発言の裏付けとまでは言わないが、本来の効果とは違う何だかの効果があったのでは無いかと推測することが出来る。
 
ちなみに、何か文章が壊れてるのは推敲してない上に、これ書いてる5時半になってもまだ寝てないからです。もう寝ないと。