妥協と儀礼的無関心こそ最強

妥協だ!! 妥協せよ!! 妥協こそ最高だ!! 妥協!! 妥協!! 妥協!!


っと、何かいきなりおかしな文面から書き始まりましたが、妥協といっても自身への事ではなくコミュニケーションの手段としての妥協の事ね。

 
さて、コミュニケーションの肝として一番重要なのが「協調性」だと思ってる人が多いかもしれませんが、相手が選んだ選択が「拒絶」だとしたらどうなるのか?


この場合こちらが(消極的な意味での)無視をするという選択をするならば、まだ問題の深刻化は防げる(むしろ、それこそ儀礼的無関心に近い)のですが、何故か、この解決法が取られることは滅多に無く「協調の強要」を、更には「攻撃」という手段に出る可能性の方が高いみたいなのです。
 
一応、ソースというか実例として挙げると、いじめがこれに近いでしょう。


本来そこで教えられるべきは、お互いに干渉せず、気持ちよく共同生活を送れるようにするための知恵であるはずだ。しかし、「仲良くするのが当然」という環境では、「仲良くしなさい」と連呼するばかりで何ら有効な対策が打たれないばかりか、いじめ被害を受けている側こそが「非正常な事態を招く原因」として問題視されることになる。
「逃亡」という概念の存在しない場所で逃げることはできない 24-Hour Survival
 
つまりは、必ずしも人は分かり合う必要など無く「儀礼的無関心」を選ぶ事により不要な関わりが生じるのを避けられ、深刻な問題へと化する事を避ける事ができるのです。
 
ちょっと脱線:
実は内心で「ひぐらしのオチは如何なものかと」と思ってたりこの青空に約束をの体験版をプレイした際の拒絶反応は実はこの辺の考え方とは真逆だったのが理由だったり
 
さらに脱線:
正直な話、人と人とが(正確に)分かり合えるなんて幻想だ――ってところまで追求したかったんですが、時間が無かったり。
 
では、儀礼的無関心が使えない事態になったとしたらどうするのか? そう、それこそが「妥協」の出番です!! 人と意見や信条がぶつかった際には遠慮なく「妥協」する事を選びましょう!


じゃないと、やたらめんどくさい事になったり、事態が悪化して行ったり、最悪の場合自分自身がピンチになるかもしれませんよ!? プライドの問題に拘っている場合では無いのです。モチベが持ってる状態なら良いのですが、それも何かの弾みでポッキリ逝く可能性も無きにしも非ずなのです。
 
と、散々散文で内容が無いようなことを書いてきたんですがオチが無いですね、どうしよう。


本当は最近の某「〜を無気力にさせているか少しは考えろ」問題に対して「それ自体を言うこと自体は構わないんですが、そんな事言っても当り散らした所で人と人とは分かり合えないので、正直その言及は誰にも伝わらない可能性が高いので無意味」という事を書こうとしたのですが、何故かこうなったり。
 
まー、某ブクマコメントで書いた

確かに努力だけではどうする事も出来ないが、だからといって幸せな人に対して当り散らす事をやる「べきではない」という結論に至った

部分の「べきではない」ならどの手段が最良なのかという回答のつもりで書いたような書かなかったような。


※20130212:見やすいように修正