戦国BASARA弐 第10話 主に「戦う動機」と長宗我部元親の重要性について

これまで当作品において、サッパリ不完全燃焼な感想ばかり書いてたので、ここで奮起して色々挙げてみる。


以下お品書き

  • 「戦国武将の戦う動機」の提示
  • 今作における長宗我部元親の重要性
  • 『迂回する』物語


「戦国武将の戦う動機」の提示

これについて挙げる理由はたったひとつ、1期の終わり方が一言で言えば「織田という悪が去ったので、キャッキャウフフと戦争をし続ける」という終わり方だったからだ。文面だけでは何か色々酷いが、実際問題、規模が違うだけで、延々と彼らは戦い続けているような気がする。


個人的な感触では、今期の『戦国BASARA弐』でも、同様の終わり方をするのではないか……と、この話を見るまで思っていた。*1しかし、どうもこの話でそれが覆りそうだ。


理由は簡単で島津の口から「戦国武将の戦う動機」が提示され、そこから真田の戦う動機が、今までの行動から「民を守る」という動機だということが分かる。これは実は6話において民を守っていた長宗我部も同じである。



今作における長宗我部元親の重要性

それはそれまでの真田が「民を守る≠戦をする」ことの葛藤と、松永からの問いかけ、そこから第6話で「民を守って倒れる」という長宗我部元親が出てくる、という流れが肝である。


ここで出てきた長宗我部は、これから真田幸村が目指す目標であり、また「真田の代わりに民を守る」役割と「真田の代わりに倒れる」という役割を背負った、重要なメタファーである。また、真田と長宗我部の武器が、同じ槍である、ということもポイントだと思う。個人的にはこの二者は作中においての最大の作中善だと捉えている。


つまりこの解釈でいえば、長宗我部は悩める真田の代わりに民を守る為に富岳を使い戦い、そして長宗我部の力の象徴である富岳、それすら粉砕する圧倒的な豊臣の力を見せつけられ、真田の代わりに葬り去られる。真田の為に犠牲になったのは、何も小田原殿だけでは無いのだ。


またその後、長宗我部が伊達と合流した部分は、独眼竜と並び立つのに、真田がまだその資格が無いから代理、という風に捉える事もできる。悩める真田に、まだその資格はない。



『迂回する』物語

また、戦国BASARA弐において、やたら『迂回する』ことが提示される場面がある、例えば…


伊達政宗の迂回=片倉奪還の為特攻をかけようとするが、上杉に止められる
真田幸村の迂回=己の戦う理由(と成長)を見失い、大切な仲間を失う


しかしながら、詳しい説明は端折るが、迂回はときとして成長に繋がる。現にふたりとも、これまでよりも成長している。真田幸村の迂回が今回で終わった*2事により、これから物語は更に加速していくだろう!! これで1期と同じオチになったら怒るよ、ぷんぷん!!

*1:だが今回の場合は、真田の葛藤や、松永の「お前らも織田も同様の存在」という指摘から、同様の終わり方は覆りそうだとは思った。が、だって基本おバカな話ぢゃんコレ!! って意識から、どうも納得しかねていた。

*2:=物語のテーゼが提示された