けいおん!! 第16話

基本月末で忙しいのと、今回あまり深く読み切れてないので、簡易的にツイッターで書いたことをそのまま書きます。


まず最初に、純が言った「梓は変わった」と、唯が指摘した「あずにゃんは難しい事を考える」から「あずにゃんあずにゃんだもん」に関して、意味合いは両者ともかなり近しいと思う。


ざっと見た感じ

何というか、割と良くある言及で「京アニがよくやってること≒反復」ってのが、それに近い。カムバック私自体、梓の1期からの洗い直しだし、紬が何故軽音部に入ったか? という問いかけの答えも2話の反復っぽいし、そもそもあずにゃんあずにゃんというトートロジーもそれっぽい。


「カムバック私の不可能性」から、「16話で梓のやりたいことの再確認」へ飛んで、そこから1期の反復とか考えてみたけど、これまだ表層なんですよね。じゃあ、次に唯と梓の関係性について噛み砕こうと考えたけど、まだまだ何も出てこない。


13話との対比

けいおんの唯に関して、個人的には「6:4」の可能性で、ゆいあずルート:梓ぼっちルートになると思ってる。それぞれの可能性の証左としては、前者が16話(シールのアレ)で後者が13話(夏祭りのアレ)がそれぞれあたる。何故16話の方が強いかというと、単に演出上の理由から。


シールのアレに関しては、「現実」において「梓の『ぶ』バッジ」「唯がシールを付けた」というところから、唯と梓の絆みたいな何か(上手く言葉に表現できん)が表されたんだろう。だが問題はそこじゃなくて、16話が「現実」においての描写だったという面、これがでかい。


一方の夏祭りのアレに関しては、「夢か現実か分からない状態」において「梓の手」「唯は手放した」というところから、別離を伺えるような予感が表されている。しかし矢張り夢か幻かの状態か、確実に現実で起った事のどちらが強いと問われれば、もちろん現実な訳で。


見も蓋も無い言い方をすれば、13話の方が梓の主観以外の何者でもない可能性が非常にでかい。


たびたび出る「卒業」に関して

個人的には「卒業」という環境の変化により、関係性がどう変化するかによって、それが自然かどうかを判断したのち、その結末が良いのか良くないのかを考える、という選択を取る可能性が一番高い。まあつまり簡単に言ってしまえば、どう転ぼうとも描写が自然であれば良いんですよマジで。


「カムバック私」については

1期から辿って考えれば、そんなのできるわけないとしか言いようが無い。