世界から、個人への問題へとシフトしていく物語 『Angel Beats!』12話より

この話、中々もって難しい、正直どう解釈していいのか分からない。が、できるだけ解釈しようとすると、どうしても世界よりも個人にスポットがあたることが見えてきた。


世界への疑問は、個人の問題へ解体される

SSS団を結成した目的はは、天使に対抗し、そして、その先に神との対決することにあった……はずでした。しかし、ゆりは最後に何故か納得してしまいます。結局のところ天国とは、例えば岩沢の抱えていた「怠惰への反発と闘争」や、ゆりの「神への闘争」などの「闘争」を和らげて、癒すような機能と、そこから成仏を促すような働きをしていたのでしょう。


それと、最初に世界(あるいはセカイ)的な視点から始まった物語は、そのセカイが抱えている問題を個人へとコミットするような形で、物語を終焉へと導いていくのでしょう。全体的な意志であった怒りや悲しみは、その問題を細分化して、個々人に振り分けられていく、そんな感じで。


つまり、『Angel Beats!』の物語は結局の所、個人への問題としか発展せず、セカイについて問われなかった。という部分が大なり小なり、絶賛されたり、批判されたりする部分でしょう。


12話における、ゆりの神殺しとは?

しかし、ここで本当に神殺しは達成されなかったのでしょうか?


現実的にはそうかもしれませんが、そこにそれに代わる「代価行為」があったと考える方が、むしろ自然だと思います。「神になれる」チャンスを、機械ごとマシンガンでぶっ放す。もっと詳しく言うなら、この世界を好きなように改変できる機械を使えば、神になれる機械が目の前にあり、その機械が影を操ったりして運命を左右している。つまり、その機械は神の代価物だったとも言えるわけです。


それに加え、今までの経験から、利用するだけ利用するだけだったSSS団の面子に、少しずつ愛情がわいてきた。そのことも加えると、神殺しの代価行為を終えたゆりは、闘争する意味を失い、成仏への道を選ばざるを得なくなる。


しかしながら……

この回、非常に勿体ない。まず、せっかく今まで音無視点オンリーで物語が進んできたのに、ここにきてゆり視点になってしまったことで、視点の一貫性が無くなってしまったこと。次に、実際問題この回のゆりへのゆらぎより、第6話のそれの方が強烈に思えること。あと最後に、正直、私みたいなぶっ飛んだ人間なら不満はないかもしれないけど、大多数の人間が首を傾げる展開だったこと。以上この三点。


個人的には、一番最初の問題が痛いと思う。折角今までイベント進行が「音無以外半ば自動的に」進行してきただけに、尚更勿体ない。



過去の『AngelBeats!』関連エントリ:
Angel Beats!』における、3つのふしぎな構造
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100616/p1
『AngelBeats!』5話までのメモ
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100505/p1