『Angel Beats!』における、3つのふしぎな構造

いやぁ、『Angel Beats!』って本当に面白いですねぇ。と、過去に言ったことと180度違うことを言ってみたり。しかし、巷ではえらい評判が真っ二つに割れてますね。例えば……

Togetter - まとめ「『Angel Beats!』について篠房六郎さんと話したことの大体のまとめ」
http://togetter.com/li/25179

上記のまとめでは、プロットについてかなり長く議論されておられます。ってか凄い長い。


ここで私の話ですが、正直私はプロットや物語・創作論に関してはあまり詳しくありません。*1よって、今回はあえて別の視点から、『Angel Beats!』における、3つのふしぎな構造に迫ってみましょう。


ということで、今回のお品書き。

  1. プロットを破壊する程のキャラクターの行動≒勢いを生み出す構造
  2. メタな笑い≒開き直りの力
  3. オープンワールド的な世界≒闇鍋みたいにカオスな世界


1.プロットを破壊する程のキャラクターの行動≒勢いを生み出す構造

物語制作上においてのジレンマに、キャラクターとストーリー(プロット)の対立、というものがあります。要はキャラの行動を優先しようとしすぎると、プロットの働きを阻害してしまうことがあったりします。


その内で、キャラクターを選択するケースは、メディアの特性上の関係でプロットが無いケースが、漫画や小説(主に過去の文学と呼ばれるジャンルにおいて)にはあります。しかし、昨今の深夜アニメにおいてプロットが無いのは極めて希で、『Angel Beats!』はその希なケースに当てはまるんだと思います。


この場合、ストーリー(プロット)のゆらぎをどこまで許容するかが肝で、要はキャラクターが持ちうる*2「脈動」や「熱量」を突き動かそうとすると、しばしストーリー(プロット)の壁にぶち当たり、場合によっては突き破ってしまう、という現象が見受けられることです。


要は「細かい事は気にするな」が、本当に作品にとっての力になるケースが、これだったり。その反面、納得のいかない展開になったり、万人に受け入れられるような作品にならなかったりと、諸刃の剣でもあったりします。



2.メタな笑い≒開き直りの力

具体例を挙げれば、2話において、ゆりが仲間を犠牲にする光景をギャグにし、その後にゆりの凄惨な過去が語られる場面。また11話において、音無が「次は誰にすっかな」と獲物を狙うような態度を取った後、日向と直井と合流の際、日向が音無のやろうとしてる事に対して「一人ずつ消していくんですよね」と返す場面がそれです。


正直な話、この辺りは「笑っていいか困る」場面であり、2話のゆりに関しては笑えませんでしたが、11話の直井に関しては笑わさせてもらいました。しかし、このギャグセンスはかなり際どく、まるで人の心を覗き見る、という例えも、正直過言ではないでしょう。


しかしながら、各人の主張を相対化し、メタ化してギャグにしています。例えば2話のゆりに関しては「兄弟が無残に殺された」過去を持ちつつも、自身が半ば楽しげに「仲間を無残に犠牲にする」行為を取っていたり、11話では音無の成仏について、直井は「一人ずつ消していく」と危ない解釈を取りつつも、実は音無の「次は誰にすっかな」という発言から取れるとおり、そう的外れなことを言っているわけではありません。


各人の主張、あるいは正義を相対化し、メタなギャグにしてしまう。このメタな笑いの裏には、ある種の開き直りが見受けられ、そしてその事に自覚的であことも見逃してはならないでしょう。



3.オープンワールド的な世界≒闇鍋みたいにカオスな世界

この世界は、電脳世界ではないにしろ、それでも何処か電脳世界っぽい様相ではあります。その理由としては、昨今のゲームでよく見られる「オープンワールド 」が関係あるのかもしれません。

オープンワールド (open world) とは、英語におけるコンピュータゲーム用語で、舞台となる広大な世界を自由に動き回って探索・攻略できるように設計されたレベルデザインを指す言葉である。


オープンワールド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

演出上画面に沢山キャラを映したりしてるのも、世界にある一定以上の法則、物理原理や世界法則等は存在するものの、この世界において倫理観や法律というものはほぼ存在しない。しいていえば、成仏までのレールが引かれ、それを阻むものはある程度ペナルティを受ける*3程度でしょう。


また、ここで音無を視聴者からみた「プレイヤー」の代理として捉えるなら、音無が「観測しなかった」ところで「他にイベントが進行している」ことも考えられます。例えば、10話においてほぼ伏線無し*4で日向はユイに告白したりするシーンがそれです。


音無=プレイヤーの思うとおりにいかなかったのは、「観測しなかった」ところでイベントが進んでいたからでしょう。また、ここで面白いのが、日向は前日団の『Track ZERO』の主人公だったりします。そこから日向=プレイヤー2と定義したとして、プレイヤー1である音無が見てないところで、イベントが進行してても変ではないと思います。


また、この闇鍋に近いようなごちゃ混ぜ感のある世界。そんな半ば「どこかで見たことのあるような」要素がごちゃ混ぜになった、正直こんなカオスな世界。これは上手く説明できないのですが、そんな土壌から、半ば「開き直りの力」や「勢いを生み出す構造」を生み出すような気がします。結論こそぼやけてますが、そんな結論ですら許されるような、懐の深い、そんな作品がこの『Angel Beats!』であると述べることで、この説明の締めに致します。




このエントリを書くにあたり、参考にさせて頂きましたエントリ:
Angel Beats! 11話「Change the World」点描 麻枝准の表層性 - ガタガタ言いなさんなって
http://d.hatena.ne.jp/tomatotaro/20100612/1276322719
神話プログラマ麻枝准――『Angel Beats!』についてのメモ - EPISODE ZERO
http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20100603/p1
Angel Beats!』における再帰性――京都アニメーション・Key・麻枝准 - 反=アニメ批評
http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20100522/1274454776



過去の『AngelBeats!』関連エントリ:
『AngelBeats!』5話までのメモ - 流し斬りが完全に入ったのに
http://d.hatena.ne.jp/str017/20100505/p1


20100617:主に分かりづらい言い回しや、表現がおかしい部分を修正。

*1:まあ創作論系の本は、10冊程度は読んでますが…

*2:本当は、キャラクター自体ではなく、その行動がミソなんですが、ここには未検証要素が多すぎるのでカット

*3:たとえば、3話の岩沢等

*4:EDに一応伏線はありましたがw