吾妻さんのけいおん批判に関して、私なりに思った事

この記事は、下記の記事でのブコメで書いた「そもそもアニメのけいおん自体が、ユートピア思想ぽいところがあるから、正しい批判といえば正しい批判だと。」の続きというか、ブコメの詳細にあたります。

録画してあったTBSアニメの「けいおん!」観る。空虚だ。
ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも何もない。
ちょっとしたフェティシズムがあるだけ。
このアニメ作ってる人も見てる人々もそんなに現実イヤなのか?
 
この気持ち悪さはメイドカフェにも通じるものがあるな。
原作のかきふらいけいおん①」読んでみたらまァまァの
ほほえましいほのぼの4コマ漫画だ。原作生かせよ!
 
吾妻ひでおけいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」:アルファルファモザイク - 2ちゃんねるスレッドまとめブログ
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html

吾妻さんの事はほとんど知らないので、発言の意図とか考えるのはまず無理だから、この意見を採用して私なりに考えてみるならば、けいおん! というアニメはゆるやかな原作から更に角が取られ、軽音部というユートピアの中で守られながらキャッキャウフフを観測する、といった感じの作品だと思ってます。
 
まあ、正直な話ユートピアとして空虚だと批判するのは正しいといえば正しいのかもしれないけど、このユートピア一時避難所、有り体の言い方をすれば「サナギ」としての「軽音部」だとするならば、少々意味は変わってくる。*1理由は過去に書いたけいおん13話感想から引用。

軽音部という枠組みに守られている間は、少なくとも「今は」旅立つときではない。この唯の行動は未来への可能性を否定しかねないという実に危険な選択なのかもしれないが、流石に未来までは否定しないだろう。そういう意味では彼女達はまだ帰る場所があるのだ。でもテーマが分かりやすくなるとはいえ、唯の「わたしを置いて先に大人にならないでよ?」という台詞は流石にやりすぎだと思うけど(笑
 
けいおん! 第13話(番外編) - 流し斬りが完全に入ったのに
http://d.hatena.ne.jp/str017/20090703/p1
 
関連エントリ→あずにゃん問題なんて、ほんとはなかった
http://d.hatena.ne.jp/str017/20090713/p2

それにしてもけいおん! もそうだけど、京アニの作品は「サナギ」としての一時避難場所が出てくる作品が多いような感じがする、あずにゃんにおける軽音部やら、ユメミにおける天上界やら、ハルヒにおけるSOS団やら、らきすたは見てないのでノーコメで。実は今、某企画でムント様について色々まとめてるんですが、それについて考えてたときにこの発言を見たので、そこから脳内で思わぬミックスやら化学反応が起こって、ちょっとびっくりしました(笑
 
だがしかし、唯の「わたしを置いて先に大人にならないでよ?」の発言はケースによってはかなりヤバイ発言だと思う。なんというか「ユートピアの中から出ちゃダメだよ」的な。サナギにいると安全ではあるけど、ずっとサナギの中に居すぎると中で朽ちてしまう、何というかそんな可能性があるような。その危険性も含めるならば、吾妻さんのけいおん批判は、正しい批判といえば正しい批判だと思う。
 
そんなことよりもですね、むぎちゃんは絶対原作の方がかわいいんですよ!!1 正直な話、あの「黒さ」がアニメでは見られないのは非常に残念であります!! そもそも、むぎちゃんハブられ気味という話題が出てくるのは、むしろ京アニの……おや誰か来たようd窓に! 窓に!

*1:そういう意味に含め、私は「けいおん13話は全面的に肯定」します。