前の「『けいおん!』はやっぱり、まだ甘い」でのブコメレス
※この記事は以下の記事のの記事のお返事です。
『けいおん!』はやっぱり、まだ甘い - 流し斬りが完全に入ったのに
http://d.hatena.ne.jp/str017/20090605/p2
基本ブコメはブコメでお返事するんですが、今回はてブの文字数だとあきらかに足りないのであえて記事に、いうか主にid:kkobayashi 氏へのレスみたいな感じになった罠。そしてお返事したのは良いが、返答が漠然としすぎている罠!
と、ここでそのブコメを引用ー
id:kkobayashi anime あとで 唯たちのテクニック=「上手さ」に梓が感動してるわけじゃないのは物語中で明示されてる/4話では澪が梓の立場であり、今回はその澪が「水と油」を乳化させる役割を果たしてる。そこに意味があるのでは
私が勘違いしてた部分
・梓の目的である「上手くなること」の内訳梓にとっての「上手い」≠「技術的な上手さ」では無い事。
・澪の存在を失念
中和する存在が澪であること。これは完全に失念していました。
そこから前書いた記事を再考してみると
まず、梓にとっての「上手い」≠「技術的な上手さ」とすると「梓が練習に執着する」属性が付着されたのは何故か?ここに関しては原作読みながら再考した方がいいかもしれない。よって今回は保留。あえて挙げるなら原作だと「唯は説明書読まないタイプ」の部分の後、普通にセッションしている。この付け足されたシリアスと、元からあるギャグとの「温度差」が激しい、という事は挙げておこう。結論は来週見ないと分からいっぽいから、今回は挙げるだけだけど。そして、ここからが本題
付け加えて言うならば「けいおん世界」を意地するために、間接的に梓の要望が潰されてしまったのであろう。
ここは、梓の本心が上記の通りだと間違い、だとして
つまりは「ゆるーいバンド」である事を梓含め選択したのだ。
ここは詳しくは後で書くけど、仮に梓がけいおん部を肯定したとすると
楽器の上達度ってある程度は上達度=弾いた回数でしょ? 彼女達はそれに達してると思う? 裏を返せば「けいおん世界」では楽器の上達に弾いた回数など、まるで関係無い事が分かる。つまり「けいおん世界」では少しでも練習すれば楽器が弾けるようになる為、練習などまったく無駄な努力だという事が分かる!
と、ネタで書いた部分が、ある意味で証明されてしまう事になる。ただし個々ではなくセッションでのみ限る、という条件付きにはなるが。
ここで前置きとして、普通に考えた場合練習回数少なくてもみんな波長がリンクしてるからいい音だせるよ! ってのは普通は幻想である。例えば6話では澪が練習回数が少ない状態でメインパートを歌ったりする事は「普通は」不可能である。*1
だが、唯と律の技術はまだまだ(9話の梓談)だとしても心震わせる音楽になっている。*2つまり「けいおん世界」での「ゆるふわ」がそのまま「セッションの力」へと「昇華」されていっている事はほぼ間違いないだろう。梓が惹かれた部分恐らくこの部分だろう。
だとすると、全て「ゆるふわ」に取り込まれてしまったのか? ここで澪の存在が出てくる。確かに澪の6話までのポジション=今の梓のポジションであって「経験者はかく語りき」で梓をけいおん部に溶け込ませる効果があったのだろう。しかしだ、やっぱ何か納得が行かない。うまく説明できないけど、一番的確だと思われる言い方で示すと「ミイラ取りがミイラになる」という感覚が一番近いかもしれない。
ああ、たぶんあれだ「彼女らの最終的な目標」がすっぽりと抜けてるんだ。「武道館」とか言ってたけど、たぶんあれ普通に嘘だと思うし。部活動の8割がティータイムな部活メンバーで武道館とかサクセスストーリーとして色々嫌すぎる。「精力的なバンド」って図ももちろん私の勘違いだろう。しかし何故にこんな勘違いをしたのだろう私は。
……と、書き出してみたところ、普通に返答になってないのは申し訳ないところです。しかし、今日アップしないとこっちの地方で10話が既に始まってしまうので、現状での私の結論をアップしてみた感じです。
おまけ
次の演奏回の脚本が花田先生だって、やったい!!今日もやられやく 『けいおん!』第11話〜最終話のあらすじ
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-3108.html