『けいおん!』はやっぱり、まだ甘い

けいおん! 9話の感想に代えて、タイトルの元ネタはハピゼさんid:hapze-23_45 の某エントリ名をあえて使ってます。
 
まず今回の話を簡潔に書くと、梓がけいおん部の遊んでばかりの姿にとまどい、けいおん部を退部して他バンドに入ろうと思ったが、何故かけいおん部の演奏ほど惹かれる事が無く、そのままけいおん部に入ったままでいる事にする。といった感じの内容です。
 
さて今回の話は、流れ上ギャグ→シリアスという流れになりました。しかしここで私のド主観での感想を述べさせて貰うと「ギャグとシリアスが水と油になってしまっている」と感じた訳です。
 
なんかあんまりにもモヤモヤしたので、原作を買って今回の話をちらっと読んでみました

けいおん! (2) (まんがタイムKRコミックス)

けいおん! (2) (まんがタイムKRコミックス)

すると、なんということでしょう! 後半のシリアスシーンは原作には無かった(あるいは意味合いが変わってた)ではないですか!
 
それにより変化した点は2点、ひとつは「梓が練習に執着する」事、そしてもう一点は「けいおん部4人+先生が、梓の意見をガン無視するぐらい練習をしようとしない」事。それにより両者とも、その態度が際立っている事により対比の関係になっているのだろう。
 
ここで前回も似たような事例があったので、以下引用で。

ただ、「ゆるーいバンド」と「精力的なバンド」は明らかに真逆にベクトルが向いている。どうやってそれを一つに纏め収束しているのだろうか。
 
 
その方法こそが、主人公、つまり物語の基点である唯の改変なのである。
 
放送前に山田監督が述べていたように、唯の性格は原作とは変わった造形になっている。だいぶ『お馬鹿』になっているのだ。
 
一見、キャラクター性を引き立てる為の工夫のように見える。だが違うのだ、『お馬鹿』にすることで、そのキャラクターの持つ信念を削がし、行動理念を曖昧にしているのだ。
  
アニメ『けいおん!』の唯がお馬鹿になった理由 - かわりな色
http://d.hatena.ne.jp/hapze-23_45/20090419/p5

その点でいえば、今までは唯の視点を中心としてたから、行動原理があやふやでも問題が無かった。だが今回は梓の視点を中心だった。その状態で果たして今回も「ゆるーいバンド」と「精力的なバンド」という真逆のベクトル、或いはこれに内在する「物語」と「非・物語」の両立が可能だったのだろうか?
 
答えは両立しえなかった、付け加えて言うならば「けいおん世界」を意地するために、間接的に梓の要望が潰されてしまったのであろう。つまりは「ゆるーいバンド」である事を梓含め選択したのだ。これに関しては賛否両論あるかもしれないが、楽器の上達度ってある程度は上達度=弾いた回数でしょ? 彼女達はそれに達してると思う? 裏を返せば「けいおん世界」では楽器の上達に弾いた回数など、まるで関係無い事が分かる。つまり「けいおん世界」では少しでも練習すれば楽器が弾けるようになる為、練習などまったく無駄な努力だという事が分かる!
 
……というのは流石に自分でも極論だと思うけど、今回の構図は「ゆるーいバンド」と「精力的なバンド」の両方を抱えようとすることによる矛盾点の一例である。もちろん、他にも例を挙げればまだ出てくるかもしれない。
 
唯は行動理念が「お馬鹿」というキャラの為に曖昧であるが、梓は行動理念が今回の開始時点では「上手くなりたい」だった為、上記のような矛盾が浮かび出たのだと思う。
 
……といっても、「けいおん!」はマターリアニメとしては至極の作品だと思いますよ、正直「何気ない日々繰り返す」という意味では、ここまで上質な作品知らないですもの。そしてそこで謎なのがやはり「梓が練習に執着する」という属性をあえて足したのか、とても疑問だったと言わざるを得ない。この辺りが「『けいおん!』はやっぱり、まだ甘い」と言える。
 
追記:
この記事へのブコメのお返事書きました→http://d.hatena.ne.jp/str017/20090610/p2