思った事メモ

売れてるのはキモイ主人公語りの一人称が多い気がするけど、読みやすいからなんかな? - 本読みのスキャット!を元に「主人公が過剰に1人語りすることによって、ヒロインの内面+主人公の深層的内面を覆い隠しているんじゃないだろうか?」という視点から元旦挟んで3連続記事行くぞ! と思ったけど、この件に関して色々調べた結果、何と一年越しの研究になりそうなので、今回は保留。ただ、確定的にいえば、どちらかといえば地の文での1人語りは少ない=会話文が多ければ多いほど読みやすいのは確実なので、主人公語りの一人称が多い=読みやすい、とはならないと思う。


■しかしあれだ、↑の事なんだけど、アララギ君+上条さんの正義+美少女立て的なアプローチは1人語りと関係が深いが、他の正義系作品は1人語りと関係が浅いので、別として切り分け、更に気弱主人公の1人語りとは別個に考えなければならないという、非情に難しい話題。まとめるなら……

  • アララギ君+上条さんの正義+美少女立て的なアプローチ(他の正義系は除外)
  • 気弱主人公の美少女立てオンリー的なアプローチ

は別個に考えなければならない、ということ。


というか一番メンドクサイのが、正義系作品を解き明かそうとすると、なんとあのカントに首突っ込みそうになりそうなんだよなぁ……そんなの書ける訳ないじゃないw


■もしかしたらだけど、大晦日に触れた「萌えの特権性」の失効に関して、昨今の気弱主人公の減少と、何だかの因果関係がありそうなんだけど、ここはどう切り込めば良いんだろう? ここを解き明かして、ここに書いてあるすべての要素を詰め合わせれば、私的ゼロ年代編纂ができそうだけど、それは流石にデカく出過ぎだろう……(汗 というか、既に批評家の人か誰かが、これやってるような気がする……