11eyes所感

総じて言えば、古くさいけど面白い、しかし9話からおかしくなる作品です。

概要

2009年秋期にスタートした作品。開始当初から、他のアニメに比べ率直で昔ながらのファンタジー系のお約束が多いと話題を呼び、一部の好事家から脚光を浴びる。一方その展開のあまりにもベタさに、昨今のアニメ好きからは失笑を買った。


そして展開は後半へと移るにつれ、しだいに迷走を始める。ヒロイン達のスタンドプレーを他所に、まともな人間から次々に死んでいくという、違う意味であまりにも理不尽な展開に、好事家から更に喝采を浴びた。その展開とキャラクターの関係性とのギャップはあまりにも大きすぎた。


そして11話の全滅、はキスダムを思わせた。しかし最終回、さらにどんでん返しが起り、いきなり主人公が自殺したかと思ったら、元凶のベラードが会心したり、最後には別の世界に飛ばされたりと、本当にカオスな作品だった。


各話簡易感想

1:基本的、本来いらぬパンチラシーンも、シーンの切り替え方法として活用されてた。
2:シーンとシーンの繋ぎがチグハグに見えた。
3:特に思いつかない…
4:全体的にケレン味のあるハッタリを張ったシーンが多かった。
5:使い回しもあったが、面白い回。
6:演出は普通だったが、展開がおかしい。
7:唯一のハズレ回、作画力に余裕がない作品で奥行きを使う作画の指示しちゃダメだと思うの。
8:ゆかがベロリアンと化した以外は印象に残らなかった。
9:個人的に一番に挙げたい回、通常は最終話が挙がると思うが、このアニメには珍しく、エフェクトを駆使した演出を上手く使った炎が良かったと思う。ちなみにお話はここから歯車が狂い出す。
10:手堅いが、展開の方にどうしても目が行ってしまうw あと作画監督である小関雅氏の影響かどうか知らないが、キャラの顔が通常回よりやや丸い。
11:展開がカオスすぎて、展開以外頭に入ってこないw
12:魔方陣エフェクト等、総力を駆使した回だったが、展開が(略


詳述

■「突然やってくる女の子とか、幼なじみ」パターンの類型として
11eyesもいわゆる「突然やってくる女の子とか、幼なじみ」の物語パターンに類する作品である。これは1クールという短い期間で、かつ複雑な世界設定も使わなければならない為、キャラクターの関係性を構成するにあたって、非常に合理的な手段だったといえる。


また、この構図は、主人公の「戦う動機」として上手く機能していると思う。しかし「突然やってくる女の子」に関しては、主人公の「戦う動機」ではなく「戦う手段」を与える(付け焼刃だが)キッカケになってるに過ぎない。


■親不在の現代での「孤児設定」
「孤児」という設定は、『迷い猫オーバーラン』でも使われた設定であり、「親の不在」を自然に成立させ、かつ関係性を深くさせる為にも有効な手段でもある。するとあれか、そろそろ何年ぶりかの「孤児設定ブーム」が再来するのだろうか?


また、この「孤児設定」から「小さなコミュミティ」を形成させるのが、設定として生きてくる。まあ疑似家族にまで消化する必要性はないが、この集まりで「生き残る」為に小さなまとまりで一致団結をするという流れは良かった……少なくとも、9話までは。


■「世界の危機」か「関係性の崩壊」かの、二者択一の選択
ここ昨今では安売りされがちな「世界の危機」だが、真面目にキャラクターを突きつけるなら、まだその価値はある。だが場合によっては危険な食べ合わせがある、それは「関係性の崩壊」である。


使い古されていて今更感がある「世界の危機」に「関係性の崩壊」を、特に男女の関係性を交えると、それは「お前達こんな危機的状況で何やってるの?」みたいな、シュールな笑いを発生させることができる。これはある意味ゼロ年代における負の発明とも言うべき作劇法で、過去にキスダムがそれをやって、凄まじいワースト的な突破力をみせたことがある。


普通の人が食べ合わせると、確実に腹を下す、危険すぎる組み合わせだ。


結び

8話まで普通に面白かったのに、9話から狂いだし、10話以降完全にワースレ的な作品に……どうしてこうなった! どうしてこうなった! いや、それでも存分に楽しめましたが。


20100709:若干整形、「世界の危機」か〜追加 親不在の〜に文章追加